日本の城巡り「MARO参上」

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金山城(群馬県)

太田道灌が「天下の名城」と謳った総石垣の山城跡

 

2015年5月、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと1年ぶりに関東の城巡りをしてきました。今回は群馬県の城をいくつか回っています。

クルマで訪問しましたが、クルマの場合は山頂まで舗装された道が続いていますので、案外ラクに訪問できますが、公共交通機関の場合バスを使うか、3キロほど歩くかの選択になってしまうと思いますが、舗装された山道とはいえ、途中からは商業施設もない山に入りますので事前の準備は怠らないようにしたいです。

では本題に入って金山(かなやま)城の歴史ですが、文明元(1469)年に岩松家純によって築城されたとされます。金山城と言えば新田義貞の伝説がありますが、この岩松氏はその末裔を名乗っているそうです。

築城時から長尾景信(関東管領・山内上杉氏の実力者)方として、古河公方の足利成氏(しげうじ)と争いますが、その中で岩松氏の家臣だった横瀬国繁の力が強まり、事実上、金山城の実権も横瀬氏に移っていきます。
まもなく岩松家純は自害し、名実共に金山城の実権は横瀬氏に移り、後、由良氏と改姓します。

時は戦国時代。上杉謙信や武田勝頼らの攻撃を受けながらも耐えた金山城も、ついに天正12(1584)年、後北条氏の傘下に入ります。

天正18(1590)年には豊臣秀吉の小田原征伐で前田利家らに攻撃され開城。関東七名城の一つに数えられる中世・戦国の名城の歴史にピリオドが打たれることになります。

金山城と言えば近代城郭以前の関東の山城の常識を覆す石垣で有名ですが、まず冒頭で触れました駐車場のあたりが西城と呼ばれる出城的な存在になります。さらにその先に見附出丸があり、そこにも金山城の石碑が建てられています。

金山城と言えば近代城郭以前の関東の山城の常識を覆す石垣で有名ですが、まず冒頭で触れました駐車場のあたりが西城と呼ばれる出城的な存在になります。さらにその先に見附出丸があり、そこにも金山城の石碑が建てられています。

本丸に向うと復元ではありますが、見事な総石垣の城が目に入ります。元は岩肌の山なのでしょう。石は豊富と言え、これほどまでの石垣の城が果たして横瀬、由良に出来たのかは甚だ疑問が残ります。恐らくは後北条氏が現在復元されている城郭の姿に整備したのではないかと思います。

また10番カーブあたりまで徒歩で降り、御城橋を越えると八王子山砦と呼ばれる出城も残ります。とにかく山一帯が要塞化され、太田道灌をして「天下の名城」と謳ったことも頷ける山城です。

全体を見て回るとなると、比較的整備が行き届いていない山道も含まれますので、やはりベストなのは夏場を除く季節の晴天時での訪問をオススメします。また城を少し降りると記念館があり、そこで金山城の歴史を学ぶことができますので、時間に余裕のある方は立ち寄られることをオススメします。

所在地

群馬県太田市金山町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR】山手線 新宿駅~日暮里駅(乗換え)~ 常磐線 北千住駅 料金 片道310円 所要時間 約20分ほど
【東武】伊勢崎線 北千住駅~太田駅 料金 片道970円 所要時間 約1時間50分ほど
【入館料】0円

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