戦国の風雲児・北条早雲始まりの地とされる城跡
静岡県沼津市、JR東海道線「原駅」から山側に2キロ強ほどの位置。
バスなどもあるようですが、極端に高低差のある地形でもなく、整備された幹線道路沿いをまっすぐに進むので、徒歩でも訪問可能な城跡だと思います。
興国寺城は何と言っても戦国大名・北条早雲(存命中に「北条早雲」を名乗ったことはないそうで、「伊勢盛時」が正しい呼び名のようですが。※ここでは「北条早雲」で統一します。)が、大名としての原点となった地として有名な国指定の史跡です。
最初に歴史を簡単に見てみると、元は守護大名・今川義忠方の武将で、義忠の正室が早雲の姉・北川殿という関係性で、義忠亡き後、今川家で家督争いが起き、北川殿の子である龍王丸を早雲は立て、後に家督につけたとされます。
この龍王丸が今川氏親となり、その子が義元と伝わるので、早雲と今川家はかなり近い関係性だったことが伺えます。
城に話を戻すと、龍王丸は家督に就かせて貰った褒美として、この興国寺城を早雲に与えたとされています。
この後、早雲は伊豆へ侵攻し韮山城に本拠を移し、小田原も奪取。死後、子の氏綱が「北条氏」を名乗り以後5代に渡り関東を制覇する巨大戦国大名の祖となっていったようです。
現在の城跡ですが、訪問時(2011年12月末)もまだ再整備が進められ、非常に散策のしやすいお城。城域に入った途端に、巨大な土塁が迎えてくれます。
天守台の下に位置する場所には、北条早雲ゆかりであることを示す石碑や、解説版が設置されています。神社も建立されていますが、訪問時、ボランティアの方にお話を伺ったところ、武将を祀ったものではなく、150年ほど前にこの地を襲った津波があったそうで(おそらく安政東海地震)、その後、田畑が荒れ耕作物が採れなくなったとのこと。そのために豊作を願い建てられたのがこの神社とのことでした。
城は天守台(当然、当時は物見櫓的なものでしょうが)から見る土塁がまた迫力がありますが、その裏手にある空堀の底に降りる道があったので堀底を歩いてみましたが、これがまた圧巻。
歴史的には北条家として今川家から独立後も、今川家や武田家との奪い合い。また豊臣政権下では三中老の中村一氏が城主を務めるなどし、徳川政権の初期にも存在したとのことで、早雲の時代に改修されたものと考えるより、もっと後世に整備されたものが残っていると考える方が自然な気がしますが、要塞ぶりを十分に感じることができます。
一つ気になったのは、堀底を進むと3つの穴があったのですが、こちらを先のボランティアの方に尋ねてみても明確にはわからないそうです。また堀を越えて北側にあるのが北曲輪になるそうですが、こちらは畑にもなっていて、どこまでが城域か分かりづらいですが広大な敷地となっています。天気が良ければ富士山も正面に見ることができます。
先にも触れた通り、「北条早雲始まりの城」という肩書だけでなく、立派な遺構も堪能できます。お城ファンの方は必見のお城だと思います。
(堀底には「スズメバチ注意」の看板がありました。ハチの活動時期には十分な注意が必要だと思います。)
所在地
静岡県沼津市根古屋
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線ひかり 品川駅~三島駅(乗換え) 料金 片道4,600円 所要時間 約37分ほど
【JR在来線】JR東海道本線 三島駅~原駅 料金 片道230円 所要時間 約15分ほど
【入館料】無料