多くの名将達が奪い合った戦国時代の城跡
白井(しろい)城はJR渋川駅から北に3キロほど離れた場所に残る城跡です。普段は公共交通機関で訪問している管理人ですが、2015年5月、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと一緒に、そのクルマで訪問しました。
白井城の歴史は関東管領の山内上杉氏の重臣・長尾景仲(長尾景春の乱の景春の祖父)が、永享年間(1429~41)頃に築城されたと日本城郭大系に記されています。
時は関東の戦国時代。この白井城もその後、歴史的な名将たちによって奪いあいが行われます。
永禄3(1560)年には上杉謙信(当時・長尾景虎)の関東進出の際にはそれに力を貸したとされます。
また永禄13(1570)年には真田幸隆(幸村と呼ばれる信繁の祖父)を主力とする武田信玄軍もこの一帯に進出してきます。
天正10(1582)年に武田勝頼が滅ぶと、代わってそれを滅ぼした織田信長方の滝川一益が厩橋(前橋)城に入り実質的な関東支配体制に入りますが、ほどなく本能寺の変で信長が自刃すると後北条氏が進出。
天正18(1590)年には豊臣秀吉の小田原征伐で前田利家、上杉景勝らに攻められ開城したという歴史を持ちます。
豊臣・徳川政権下でも使用されましたが元和4(1618)年に廃城になったとされます。
現在の白井城は大半が農地化されていますが、本丸直前の三日月堀などは見応え十分。これはやはり武田の築城法が活かされているのでしょうか?
また復元かもしれませんが、本丸の虎口には石積みも見られます。金山城をはじめ、群馬の城に石が用いられているのは、地質的に石が豊富ということでもあるのでしょうか。
農地になっている郭にも二ノ丸、三ノ丸などの石碑が建てられております。本丸には解説板も設置され近年かなり保存・整備が進んでいる感が伺えます。
見所も案外多く、文章内でもご紹介させて頂いたとおり、関東の戦国史に名を残した名将達が奪い合った名城跡。戦国ファン必見の城跡です。
近くのオススメすぽっと
白井城から徒歩でいけるような距離ではありませんが、比較的近くの名物店として紹介。山間の小さな食堂ですが、モツ煮定食を求めて行列ができるほどの人気店。昔ながらのモツ煮はビールが欲しくなりますね(笑)。
食べログの紹介ページはこちら
所在地
群馬県渋川市白井
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円