名将達が奪い合った埼玉の歴戦の名城跡
新田義貞の築城伝説もある武蔵松山城は、東武東上線の東松山駅からだいたい徒歩15分ほどの位置。
近くには岩窟ホテルや吉見百穴などの有名な観光スポットもある場所です。
実際は扇谷上杉氏の家臣上田氏によって築城されたと考えれられており、山内上杉氏との対立の舞台のひとつでもあったようです。
後北条氏が勢力を伸ばす中、扇谷上杉氏の最後の当主・上杉朝定の居城ともなりましたが、1546年の「河越夜戦」で朝定が戦死。松山城は後北条氏の傘下に入ります。
しかし再度上杉方の武将上田朝直や太田資正によって奪い返されるも、上田朝直が後北条氏に寝返り、北条氏康の傘下に入りなおします。
その後もこの城は名将達の間で奪い合われ、上杉謙信も一時この城を手に入れ、岩槻城の太田資正が城代として入城。しかし、即座に北条氏康は武田信玄と連合軍で奪回。この時の戦いとして、新田次郎先生の「武田信玄」では、近くの吉見百穴の横穴墓群を見て「もぐら作戦」を思いついたと記されています。
戦国末期には後北条氏の傘下であった上田氏が再び城主を務めるも、1590年の小田原の役では、前田利家、上杉景勝といった名将によって陥落します。
徳川家康が関東に入ってからも存続したようですが、1601年に城主(松山藩主)をつとめていた松平忠頼が浜松藩へ移動されると、この武蔵松山城も廃城になったとされるのがこの城の歴史です。
現在では杉山城などと共に「比企城館跡群」として国の指定史跡とされています。
入り口はいくつかあるようですが、岩室観音堂の奥から登るのは危険だと思います。道沿いに移動し南側からの階段のある入り口を選ぶのが良いと思いますが、この階段もほんの一瞬だけ。
あとは険しい山道ではないですが、獣道のような道を延々と登るのみ。履物には気をつけたほうが良い場所です。
本丸付近はかつて神社か何かあったようで、明らかな近世の建造物跡が残ります。
この城の最大の見所はなんといっても堀。
各郭間の堀は圧巻のスケールで見学者を楽しませてくれます。しかし、ここは賛否両論だと思いますが、多少整備もお願いしたいかな・・・
あまりに城内も放置された状態で、やや危険な場所もあるため、もう少し夏季などもヘビなどに悩まされずに訪問できるようにして欲しいなぁとは感じました。
遺構は確実に楽しめる関東地方でも屈指の城跡ですし、ぜひ冬場に安心して訪問されることをオススメします!
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武蔵松山城と隣接する吉見百穴。古墳時代の横穴墓群で、第二次世界大戦時には軍需工場も作られた場所。2012年3月現在では300円の入場料です。武蔵松山城の模型も展示され、さらにこの穴を武田信玄が見て「もぐら作戦」を思いついた場所ともされ、武蔵松山城とのかかわりも少なくない場所です。
東松山駅付近は飲食店なども多く賑やか。市役所方面へ少し歩くとある「ばなゝや」さんは、カウンターのみの、ちょっとした割烹料理屋さん。リーズナブルな価格で美味しい和食を頂けるお店です。
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所在地
埼玉県比企郡吉見町大字南吉見字城山
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【東武東上線】池袋駅~東松山駅(急行停車駅) 料金 片道630円 所要時間 約53分ほど
【入館料】0円