日本の城巡り「MARO参上」

ホーム > 城砦以外の史跡一覧 > 京都府の史跡一覧 > 新島旧邸(京都府)

新島旧邸(京都府)

同志社を開校した新島襄、八重が暮らした邸宅

 

2013年NHK大河ドラマの「八重の桜」。
その主人公である新島八重(旧姓・山本)が生まれ育った会津から京都へ移り、同志社を開校した新島襄と再婚(会津戦争で川崎尚之助と離れ離れになり離婚しています)し、以後その生涯を閉じるまで暮らした邸宅です。

会津戦争や、大河ドラマの話はここでは割愛しますが、新島旧邸は華族・高松保実(やすざね)が所有していた土地を、新島襄が貸借し、明治8(1875)年、わずか生徒8名で同志社英学校を開校します。
翌年に現在の場所(旧薩摩藩邸)に移ると、襄は高松氏から土地を買い取り、そのままこの地で生活を始めたと、現地で頂いたガイドブックに説明されています。

外観はコロニアル様式と呼ばれるそうですが、実際に見学した印象として、「昔の洋間の家」といった印象。ただ当時としては最先端の洋式の家だったそうで、トイレなども洋式の先駆け的な作りをとっています。

アメリカで10年間ほど暮らした襄の影響が強かったのでしょうが、食生活なども洋式のものを好んで摂っていたと、現地の説明に記されていました。

大河ドラマが無ければ知名度は襄の方が強かったと思いますが、その襄が使った机などの書斎などもそのままに保存され、見学することができます。

襄は若く46歳で神奈川県大磯にて病死しますが、八重自身はその後も日本赤十字社の正社員になり、日清戦争、日露戦争で看護婦として活躍。勲七等宝冠章などを授与され、昭和7(1932)年。激動の時代を駆け抜けた生涯をこの邸宅で幕を降ろしました。

現在は同志社の施設となっていますので、無料ですが見学には大河ドラマの影響もあり、以前とは変更点などもある(予約制)ようなので、次の同志社大学の公式サイトで事前に確認をしてから見学に行かれるようにしてください。
同志社社史資料センターホームのサイトへ

何かの縁だったのか、八重が最後まで愛したと言われる郷土会津ですが、その藩主・松平容保が半年間過ごした清浄華院もすぐ北側にあります。
さすがに日本の中心として栄えた京都御苑に隣接するような立地のため、他にも見所の多い場所のため、歴史散策を満喫できる場所だと思います。

近くのオススメすぽっと

京都で有名なオムライスの老舗専門店の出町柳店。見た目固そうなタマゴですが、中はトロっとしています。種類も豊富なので、自分の好みにあったオムライスを楽しめます。
食べログの紹介ページはこちら

所在地

京都府京都市上京区寺町通り丸太町上ル松陰町18

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,910円 所要時間 約2時間15分ほど
【京都市営地下鉄】京都駅~丸太町駅 料金 片道260円 所要時間 約7分ほど
【入館料】0円

写真ギャラリー