岩槻城・太田資正、四男の潮田資忠の居城
埼玉県さいたま市の大宮公園近くにある寿能公園は、かつて岩槻城の太田資正(扇谷上杉氏の重臣で、江戸城などを築城したと言われる名将・太田道灌の甥の家系と伝わるそうです。)の四男・潮田資忠の居城と伝わります。
最寄の東武野田線・大宮公園駅を東へ向かうとすぐに産業道路にぶつかります。それを南へしばらく歩くと、小さな交番があり、その角に時代を感じさせる石碑が建立されています。
城跡とされる公園はその角を曲がり、まっすぐに大宮球場方向に歩くと左手に存在します。案内板と、先の潮田資忠の墓碑が中央に建立されています。
すぐ近くにプロ野球の二軍戦も開催されている市営大宮球場などが設置されている大和田公園があり、その大和田公園の敷地内はかつて、寿能城の出丸であったとされ、若干の遺構も確かめることができるようです。
残念ながら下調べ不足に加え、訪問時が小雨混じりであったため、出丸の遺構は確認できませんでした・・・
さて、この城は1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際に、先の潮田資忠は後北条氏に従い小田原で戦死、この寿能城も豊臣軍に滅ぼされたとのこと。
また近年になって第二次世界大戦では高射砲が置かれ、城跡の破壊が進んでしまったとのこと。現在、寿能公園自体には遺構らしきものは全く見つけることができませんでした。
おそらく後年の開発で地形自体も変わっているでしょうが、現在は周辺も平地といってよい地形で、あまり城砦を置くには相応しい感じは受けませんでした。また想像した以上に見所は少なかったのが本音。
個人的には一度行きたかった場所なので、それでもある種の達成感がありましたが、出来れば大宮公園駅付近は古城跡と伝わる場所も多いですし、また岩槻城も遠くありませんので合わせて訪問計画を立てることをオススメでします。
近くのオススメすぽっと
寿能城の最寄り駅になる東武野田線「大宮公園駅」付近は古城跡とされる場所が多いですが、同じ野田沿線にある岩槻城も忘れずに訪問しておきたい城跡です。江戸時代には大岡越前で有名な大岡忠相の遠縁である大岡忠光が城主となった城跡です。
所在地
埼玉県さいたま市大宮区寿能町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円