秀吉による小田原征伐のきっかけを生んだ名城跡
沼田城の支城として沼田景久の三男・景冬が明応年間(1492~1501)に築城したとされますが、この城を一躍著名にした頃の城主は鈴木主水正重則。
時は豊臣政権。関東は依然小田原の後北条氏が完全には秀吉に従わず統治していましたが、天正17(1589)年、秀吉の調停により沼田城を後北条氏が真田昌幸から譲られますが、同年、その城代となった猪俣邦憲が、真田氏の統治下にあった名胡桃(なくるみ)城を奪い、上田城に向う途中、岩櫃城にいた重則は責任を取り切腹。
このことに怒った秀吉は、後北条氏を攻撃することを決心。
天正18(1590)年、小田原征伐の軍を起こすことになります。
その戦後、沼田城は再び真田氏の元に戻り、名胡桃城は廃城となったとされています。
現在、名胡桃城は城址公園として整備され、平成29(2017)年には続日本100名城にも選出されています。
駐車場が般若郭跡となり城内への入り口の間には、資料館が。
トイレも清潔な洋式が設置されています。
三の丸、二の丸、本丸と連郭式で縄張りされ、各所に堀や土塁がしっかりと残っています。二の丸と本丸の間の堀は深く、その間に橋が架かっています。往時はいざとなれば橋を焼き落とす構造だったのでしょうか。
本丸の先にはささ郭があり、その先は崖と天然の要塞であったことが分かります。
管理人は普段、公共交通機関で城巡りを楽しんでいますが、名胡桃城は2018年5月、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと一緒にそのクルマで訪問しました。
電車であれば後閑駅からタクシー等を利用することになります。
整備された城からは想像できませんが、本丸には熊よけの鈴が置かれていました。駅から徒歩で向かわれる場合、暗い時間など人通りが少ない時間帯は注意が必要かもしれません。
ただし城内は軽装で十分。天気のいい日に、往時に思いを馳せてゆっくりと散策を楽しみたい城跡です。
所在地
群馬県利根郡みなかみ町下津
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円