新田義貞が築城したとされる群馬の城館跡
日本100名城の金山城の比較的近くにある反町薬師が反町館(反町城)の跡となります。
元徳年間(1330年頃)に新田義貞によって築城された(当時は館)と日本城郭大系に説明されています。
義貞は鎌倉幕府の討幕派中心人物として各地を転戦しましたが、その間は義貞の重臣にて一族でもある大舘 宗氏(おおだち むねうじ)の子・氏明が反町館を守っていたとされます。
義貞の子、義興もいたとされます。この一体が新田義貞の拠点であったことは事実であろうと思います。
戦国時代に移ると、小田原の後北条氏がここまで勢力を伸ばし金山城を攻撃。その際に、反町館は北条氏邦の本陣として使用されたとされます。
天正18(1590)年に豊臣秀吉の小田原征伐で攻撃され廃城になったと、これは現地の解説板に説明されています。
規模は違いますが、比較的距離も近く、同じ太平記の時代に活躍した足利尊氏ゆかりと伝わる足利氏館と同じような鎌倉時代の武士の居館らしさを感じる方形の居館。
日本100名城になった足利氏館ほど建造物の遺構は残りませんが(足利氏館の遺構もほとんどが寺としてのものでしたが)、同じように周囲を巡る堀跡や、一部に残る土塁は見応え十分です。
また現地には反町館としての標識や解説板に加え「新田義貞公古城」というやや古い石碑も設置されています。
多くの時間を費やしてといったタイプの城館ではありませんが、お手軽に、それでも見応えのある遺構を楽しめる史跡としてオススメです。
公共交通機関だと少し不便かと思いますが、訪問時は当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さん運転のクルマで訪問。改めてですが、地方での城巡りにはクルマは必須道具かもしれません・・・(苦笑)
所在地
群馬県太田市新田反町町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【東武】伊勢崎線 北千住駅~太田駅 料金 片道970円 所要時間 約1時間50分ほど
【入館料】0円