徳川信康が自害した悲劇の舞台
浜松市中心部から遠州鉄道を使い、終点の西鹿島駅へ。さらにここから天竜浜名湖線で二俣本町駅まで出るとメインストリートには大きな道しるべが設置されていますので迷うことなく訪問することができると思います。現在は一部の曲輪が旭ヶ丘神社となっています。
二俣城は文亀年間(1501~1504)に今川氏の家臣・二俣近江守昌長が築城したと「遠江国風土記伝」に記されているそうです。
今川氏真の代になると、同じく今川家臣の松井宗親が城主を務めていたそうですが、永禄8(1565)年に駿府城で氏真に謀殺されたと伝わり、今川がその後、戦国大名としては滅びると、代わって二俣城は徳川氏の支配下に置かれることになります。
永禄11(1568)年、徳川氏の傘下に入った二俣城は鵜殿(うどの)氏長と、先の松井氏の一族山城守(宗恒)が2トップで守備にあたったとされます。その後、二俣城は武田信玄の侵攻に備え中根正照を主将、松平康安、青木貞治を副将にトップを入れ替え、元亀3(1572)年ついに信玄軍の武田勝頼部隊の攻撃を受けます。
水の手を破られた徳川軍は二俣城を明け渡しますが、徳川家康も早くからその奪回作戦に転じます。武田の代が勝頼になり天正2(1574)年には深山宗三、依田信蕃(のぶしげ)が二俣城の守備につき、翌3(1575)年に長篠合戦で武田軍が大敗すると、諏訪原城らが徳川方に落ちる中、依田信蕃が粘ったと伝わりますが、勝頼の命で城を再び家康に明け渡すことになります。家康は大久保忠世に二俣城を任せたとあります。
武田と徳川の間で激しく争奪戦が繰り広げられた二俣城ですが、歴史的に有名な事件の舞台になるのはこの後のこと。
天正7(1579)年、家康の正妻築山殿とその間に儲けていた嫡子信康が武田氏に通じていると織田信長に疑われ、まず8月に岡崎城から浜松城へ護送される中(二俣城への護送中との説もあるようです)、家康の命により築山殿は浜松市御前谷付近で殺害。9月に二俣城で信康が自害するという出来事が起きたとされています。
この話は有名で、その真相を暴くといったいくつかの話もあるようですが、ここではそういった話は割愛させて頂きます。
その後も大久保忠世が二俣城主を務めていましたが、天正18(1590)年、小田原征伐で後北条氏が滅ぶと、徳川家康が関東へ移封されるにあたり忠世も小田原城主となり二俣城は廃城となったとあります。
天竜浜名湖線の二俣本町駅の北側の丘陵地が城跡。北曲輪には旭ヶ丘神社が建ちます。本丸には天守台の石垣が残り、この城で最も有名な遺構の一つとなっています。この本丸から南側へ二ノ曲輪へかけても石垣が散在しています。
二ノ曲輪の南、蔵屋敷との間には堀跡が確認でき、さらに蔵屋敷南側にも土塁が明瞭に残されていました。縄張りにはさらに南曲輪があったようですが、入り口も特に見当たらなかったため、そちらは見逃してしまっています。
ざっくりと見て回った印象ですが、中世の香り漂う石垣が特徴的で、北曲輪から本丸にかけてはキレイに整備され季節問わずに訪問することが可能だと思います。
個人的には暗い歴史背景を知っていたため、藪化している蔵屋敷付近は多少不気味にも感じてしまい、さきほど触れたように南側へはあまり踏み込んでいませんが、整備のされ方も行き過ぎず、遺構もよく残り満足のできる城跡です。
鉄道で訪問される方は、本数がかなり少ないため事前に必ず帰りの列車時間を確認されて散策されることをオススメします。
戦国時代の悲劇の歴史を持つ二俣城。一見の価値ある城跡です。
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浜松と言えば餃子の街としても有名ですが、JR浜松駅南側にある「むつぎく」さんは行列の出来る人気店。多少お値段は高めだと思いますが、ライスの並盛りの量も多くコスパは悪くないです。ニンニクの量は少なめなのでしょうか。パンチは欠ける感じですが、焼き具合含めやはり有名店だけあって美味しい餃子専門店ですね。店内もキレイなので家族連れの方にも向いていそうなお店です。
お店の公式サイトへ
所在地
静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線こだま 品川駅~浜松駅 料金 片道8,290円 所要時間 約1時間50分ほど
【遠州鉄道】新浜松駅~西鹿島駅 料金 片道470円 所要時間 約35分ほど
【天竜浜名湖線】西鹿島駅~二俣本町駅 料金 片道200円 所要時間 約3分ほど
【入館料】0円