日本の城巡り「MARO参上」

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三枚橋城(静岡県)

武田勝頼が築城した初代沼津城

 

JR沼津駅の南側、その名も「大手町」交差点付近の中央公園内に沼津城の石碑と解説板が設置されています。
沼津城は江戸時代の近世城郭と、武田勝頼が築城したものと歴史上2つあると考えられているため、当サイトでは、近世城郭を沼津城として、武田氏による城郭を三枚橋城として別々に紹介させていただきます。

三枚橋城としての歴史は、日本城郭大系によると築城時期は諸説ある中、元亀元(1570)年、駿河に侵攻し韮山城興国寺城と争った際に橋頭堡として築城されたものとされています。
その他の説には文明11(1479)年に北条早雲(伊勢新九郎長氏)が今川氏のために築城したとされる等があるそうです。

元亀2(1571)年には落城し、後北条氏の支配下に置かれたとされていますが、天正9(1581)年に武田氏方の高坂昌信が、後北条方の戸倉城将・笠原新六郎を武田氏方に招き入れることに成功し、三枚橋城も再び武田氏の支配下に入ったとされます。

しかし翌年に武田氏が織田信長に滅ぼされると、昌信は徳川家康に城を明け渡したと城郭大系に記されていますが、昌信はすでに天正6(1578)年に死去しているはずですので、恐らくこれは他の武将と間違えていると思われます。

ただ徳川氏の支配下に三枚橋城が移行したことは事実、家康の四男・松平忠吉と、その後見人、松平康親が入城したそうです。天正8(1580)年生まれの忠吉だったため、実権は康親が握っていたでしょう。その頃、韮山城の後北条氏規と争うも三枚橋城を守り、その後徳川家康が豊臣秀吉政権下で関東へ移封されると、その跡を継いでいた康次は埼玉の騎西城へ同じく移封。
駿河には中村一氏が入り、三枚橋城にはその弟の氏次が入ったとされます。

慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで、徳川家康が勝利すると、徳川方の大久保忠佐が新たに三枚橋城に入城しますが、慶長18(1613)年に跡継ぎなく没すると、翌年には本多正純らによって廃城とされ、城も破却されたとされています。

現在、冒頭で触れました近世沼津城の本丸付近に、同じく三枚橋城の本丸があったとされ、大久保氏時代には三重の櫓があったそうです。
中央公園からさらに南へ進むと、三枚橋城の石垣が復元されていますが、大久保氏時代には石垣が用いられていたことは事実のようです。武田氏時代には近代城郭の要素はまだなかったそうです。

現在、大手町交差点から狩野川にかけてのわずかな間に、いくつか三枚橋城の説明がされていますが、近世沼津城の物なのかやや分かりづらいのですが、その名前だけでも記されています。

中央公園の石碑だけで沼津城散策を終えてしまうと、三枚橋城の痕跡を見逃してしまうことになるので、これから訪問されるかたは忘れずに周辺を散策して頂ければと思います。

所在地

静岡県沼津市大手町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線こだま 品川駅~三島駅 料金 片道4,520円 所要時間 約50分ほど
【JR在来線】三島駅~沼津駅 料金 片道190円 所要時間 約5分ほど
【入館料】0円

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