関東管領・山内上杉氏の重臣が暮らした城跡
関東管領、山内上杉氏の重臣として栄えた長尾氏は、白井城を本拠にした白井長尾氏と、この蒼海(おうみ)城を本拠にする総社長尾氏の2派に分かれていたとされます。
白井家の長尾景信は、代々長尾氏が務めた山内上杉氏の家宰職(筆頭家老)の位にありましたがその死後、家宰職を総社家の長尾忠景が継ぐことになると、白井家の景春が謀反を起こします。
これが関東に戦乱の世を生み出すきっかけになった長尾景春の乱(1476~1480)です。
景春の乱についてはここでは割愛しますが、蒼海城はそのような重職にあった一族の居城でした。
さきほどの長尾景春の乱の後、結果的に山内上杉氏と、対立関係にあった扇谷上杉氏は共に没落、代わって関東は後北条氏が勢力を拡大していく中、忠景の孫・顕方は後北条氏の2代目、氏綱に通じていきます。
その結果、箕輪城と厩橋(前橋)城の両長野氏と対立関係に陥り、結果長野氏に屈します。
この際、白井城を総社家の景房が継ぎ、蒼海城側は廃れていったとされ、永禄9(1566)年には武田信玄によって奪われたとあり、その後の歴史は触れられていません。
現在は総社神社などが置かれ、その神社境内に大きな解説板が設置されていますが、あまり詳細なことまでは触れられていません。
また周囲も完全に都市化が進み残念ながら遺構は確認できませんでした。
比較的近くには厩橋(前橋)城と、それを武田信玄が攻略する際に築城したとされる石倉城などもありますので、それらと併せてゆっくりと前橋中心街を巡ってみてはいかがでしょうか。
所在地
群馬県前橋市元総社町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円