岩櫃城の一区画に武田勝頼を迎えようとした館跡
天正10(1582)年、いよいよ追い詰められた武田勝頼は、躑躅ヶ崎館を出て、新府城を築城し移りますが、織田信長の甲州征伐が近づくと、早々に新たな逃亡先を模索。
諸説ありますが、真田昌幸は岩櫃城に迎え入れることを提案。一度は武田家内で了承され、昌幸は一足先に岩櫃城へ戻り、勝頼を迎え入れるための準備を行います。
その際、勝頼が暮らすための居館として整備したのがこの潜龍院です。
勝頼は実際には小山田信茂の待つ岩殿山城へ退避することを決め、向っている途中で信茂の裏切りにあい、結局天目山にてその生涯を終えますので、この潜龍院には一度も足を踏み入れることはありませんでした。
潜龍院は岩櫃城よりやや西側。皮肉にも岩殿山城にもよく似た、岩肌がむき出しの岩櫃山の南麓に隠れたように配置されており、名前の通り勝頼を潜み、隠すことが目的であったことが伺えます。
現在も一部ですが石垣が残り、岩櫃城と併せて訪問したい史跡です。
ただアクセスにはクルマがないと少し不便・・・
管理人も普段は公共交通機関で城巡りを楽しんでいますが、岩櫃城は2018年5月、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと一緒にそのクルマで訪問しました。
また岩櫃山に生息していると思われますが、熊出没注意の案内板も設置されているので、麓と言え油断はせずに、朝や夕方の訪問は避けた方がいいと思います。
歴史に「if」はつきものですが、この潜龍院も勝頼がもし、この地に来ていれば、2度も徳川を退けた名将・昌幸とともに織田信長を相手にどんな戦いを演じたか。歴史ロマンに思いを馳せられる史跡です。
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所在地
群馬県吾妻郡東吾妻町郷原
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円