日本の城巡り「MARO参上」

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岩櫃城(群馬県)

真田昌幸が武田勝頼を迎え入れようとした吾妻の名城

 

武田勝頼を真田昌幸が迎え入れ、織田信長と一戦を構えようとしたことで有名な岩櫃城ですが、元は応永12(1405)年に山内上杉氏の傘下だった斎藤憲行が築城したとされます。この憲行の子たちがそれぞれ争いあい、大野氏を名乗った5男系がしばらく岩櫃を支配しましたが、大永年間(1521~28)には6男系の富沢憲次が大野氏を滅ぼし岩櫃に入城します。
しかしその憲次に従わなかった吾妻(あがつま)西部の鎌原(かんばら)氏が真田幸隆・甘利昌忠を介し武田信玄に通じると、憲次の子・憲広と鎌原氏の間に争いが絶えなくなります。

その騒動の中、信玄の命を受けて真田氏が動き、憲広も上杉輝虎(謙信)を頼り岩櫃城を巡る戦闘へ。途中、斎藤方の海野兄弟を味方につけた真田幸隆が永禄8(1565)年に斎藤氏を滅ぼし、吾妻の地を信玄より任されることになります。

信玄自らも元亀2(1571)年、3年に中山城や白井城等の攻略の為に入城したとされます。

その信玄が元亀4(天正元年・1573)年に死去すると、跡を継いだ勝頼は天正3(1575)年に長篠の設楽原で小織田・徳川連合軍と戦い敗戦。その中で真田幸隆の子・信綱・昌輝が戦死したため武藤氏を継いでいた昌幸が真田に復帰し跡を継ぎ、冒頭の天正10(1582)年に武田勝頼が追い込まれ、新府城を放棄し東に逃げる際に岩櫃城へ迎え入れようとしたものの、直前で小山田信茂の岩殿山城を勝頼は選び、信茂が入城目前で裏切り、天目山にて武田氏が滅んだことは有名な話。

その後、豊臣秀吉政権を経て関ヶ原の戦い(1600年)で昌幸と次男・信繁(幸村)は西軍。長男の信幸は東軍について戦い、戦後、昌幸・信繁は和歌山の九度山へ幽閉され、真田の全領は信幸が継いだのも有名な話。
信幸は家康に気を使い1613年~16年頃に廃城としたとされます。

さて岩櫃城ですが、ここはクルマがあった方が便利。

管理人も普段は公共交通機関で城巡りを楽しんでいますが、岩櫃城は2018年5月、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと一緒にそのクルマで訪問しました。
電車であれば群馬原町駅から登っていくことになります。

駐車場のある付近が天狗丸となり、ここに資料館があります。
トイレも併設されていますが、男性用の個室も清潔な洋式と快適な城巡りをサポートしてくれます。

岩櫃山登山道の方だと思いますが、一応駐車場からすぐに登山道に入ると「熊出没注意」の看板が。油断は禁物です。
登りだすとその峻険さが身に沁みます。
本丸に登るまでに空堀など素晴らしい遺構を楽しむことができます。

一応山城ですが、足元はスニーカー程度でも大丈夫ですが、岩櫃山山頂を目指すのであれば本格的な登山の準備は必要です。
天候の悪い日や、また暗い時間帯などは例の熊の件もあるので避けた方が安全かと思います。
真田氏が武田氏の運命を背負い織田信長と雌雄を決しようと考えた、難攻不落の吾妻の山城。歴史ファン必見です。

本丸下からの眺め

本丸の風景

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群馬県内に複数店舗を構えるバターチキンカレーの「バタキチAコープあがつま店」。大体のメニューがほぼワンコイン。手軽にインド風カレーを楽しめるお店です。城巡りにもピッタリですね。
食べログの紹介ページはこちら

所在地

群馬県吾妻郡東吾妻町原町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR】埼京線、高崎線 新宿駅~(直通は数が少ないため赤羽で高崎線乗換え)~高崎駅(乗換え)~ 上越線 群馬原町駅 料金 片道2,590円 所要時間 約3時間30分ほど
【入館料】0円

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