初代鎌倉幕府執権の時政邸宅跡
伊豆箱根鉄道の韮山駅周辺は日本史上に名を残した2つの「北条氏」所縁の町。一つは戦国時代初期の英雄・北条早雲(伊勢新九郎長氏)が居城「韮山城」を築き、いわゆる「後北条氏」にとって戦国時代を通じ重要な役割を担っていたということ。
そしてもう一つは鎌倉幕府時代、執権として権勢を奮った北条氏の初代執権・時政の館があったことです。
ここでは執権北条時政の館についてご紹介します。ちなみに、この2つの北条氏ですが、遠い所縁は実際にあるようですが、直接的な「子孫」とは呼べないほど、ほぼ「無関係」といっていいような関係性のようです。
韮山駅を降り、西側へ進むとこの近辺では最も市街地として発達した下田街道が南北に走ります。そのあたりから北条氏所縁の史跡看板が目立ってきますので、北条氏館以外にも史跡散策を堪能できるエリアになっています。
それらの史跡は散策した限りでまたご紹介させていただきますが、北条氏館に集中して話を進めさせていただくと、狩野川まで突っ切り、守山公園とされているあたりまで出ると、その一帯に時政の居館があったとされています。
現在は特に史跡公園といったような整備はされていませんし、どこまでが私有地で、どこまで踏み込んでいいのかよく分からない「空き地」になっているような状況ですが、小さな石碑で遠くからは目立ちませんが「史跡北条氏邸跡」の石碑と、その解説板が設置されています。
時政の父・時家が平安時代末期に築いたものとされます。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の夫人・北条政子もこの館で産まれたとされ、両者所縁の史跡も周辺には点在しています。
治承4(1180)年に源頼朝が挙兵すると、平氏の流れを汲みながらも時政は頼朝を支え、以後の北条氏発展に大きく寄与しますが、後年、鎌倉三代将軍・実朝暗殺未遂事件で失墜。二代執権・義時や実朝の母にあたる政子など、子と対立しることになり鎌倉から伊豆の北条氏館で蟄居させられ、建保3(1215)年78歳で没したとされます。
晩年の政変で名を落としたことが原因か、北条氏館はひっそりと、かつて歴史の表舞台にいた人物の史跡と思えないほど、扱いも質素なもの。管理人も韮山城目当てで訪問し、たまたま韮山駅で「北条館」か「北条邸」の文字を見つけ、急遽インターネットで調べて訪問しましたので、事前調査が甘く見落とした史跡も多いと思います。韮山は本当に歴史の宝庫と呼べるほど、多くの史跡が眠る町ですので、また機会を見つけ伊豆の城郭・歴史散策を楽しみたいと思います。
近くのオススメすぽっと
三島駅南口のほぼ正面にある中華料理屋「のあき中華飯店」さん。典型的な町の中の中華屋さん。こういう素朴な雰囲気がすきなので大満足。中華丼と餃子で旅の疲れを癒させていただきました。
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三島駅南口東側の「天然温泉 富嶽の湯 ドーミーイン三島」さん。その名の通りの温泉付きのビジネスホテル。部屋もキレイで城めぐりの疲れを癒すのにピッタリの宿です。
所在地
静岡県伊豆の国市寺家
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線こだま 品川駅~三島駅 料金 片道4,520円 所要時間 約50分ほど
【伊豆箱根鉄道】駿豆線 三島駅~韮山駅 料金 片道270円 所要時間 約20分ほど
【入館料】0円