後北条氏と真田氏が奪い合った上州戦国時代の城跡
日本城郭大系によると、天正10(1582)年に、当時、後北条氏の支配下にあった白井勢が中山の地を奪うと、赤見山城守が地域の支配者となり、追って後北条氏が中山城を築城したとされています。
誰が城主になったなどとは記されていませんが、文脈からすると恐らくは赤見氏が務めたのではないかと想像します。
しかしほどなく、天正14(1586)年に真田昌幸によって中山が奪還されると、中山城には真田方の林弾左衛門らが入ったと記されています。
具体的な廃城の時期については明確でないですが、天正18(1590)年頃ではないかと考えられているようです。
さて現在の中山城ですが、公共交通機関での交通アクセスは非常に悪く、管理人も普段は電車を中心に城巡りを楽しんでいますが、中山城は2018年5月、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと一緒にそのクルマで訪問。
もし車での訪問が難しいようでしたら、沼田駅からタクシーで30分程度の距離あるようです。
しかし遺構の保存状況はとても良く、本丸にまず石碑と解説板が設置され、周囲には土塁が巡っています。
そして北側の二ノ丸へ移動しようとすると、そこには巨大な空堀跡が。
思い切って堀底に降りてみましたが、なかなかのスケール。さすがは戦国時代、後北条氏と、真田氏の間で奪い合いが起きた、まさに戦闘施設。その緊張感を感じることができるようです。
できれば夏と、場所柄、雪の季節を外して訪問されると遺構も楽しめる城だと思います。
岩櫃城と沼田城はセットで回るファンの方も多いと思いますので、ぜひそれに合わせて中山城も見学されることをオススメします。
所在地
群馬県吾妻郡高山村中山
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【タクシー】沼田駅から約30分ほど 【入館料】0円