三方ヶ原の戦いで家康が逃れた浜松城の前身の城跡
場所は浜松城と大手通りを挟んで東隣の小さな東照宮が曳馬(ひくま)城とされています。
「引馬」という漢字が使用されることもあるようですが、当サイトでは「曳馬」で統一させていただきます。
この曳馬城の歴史は不詳な面が多く、築城者やその時期に関しては諸説あるようです。一応日本城郭大系に掲載されている4つの可能性を紹介します。
(1)永正年間(1504~11)三善将連(みよしまさつら・または為連)の命を受け、久野佐渡守の末子、越中守が築城。
(2)今川貞世(さだよ・別名了俊)の孫貞相(さだすけ)が敷知(ふち)・豊田・周智(しゅうち)の三郡を領し居城とした。
(3)永正年間に三河国臥蝶(ふちょう)の城主・大河内備中守貞綱が築城し居城した。
(4)巨海(おおみ)新左衛門尉が浜松荘に在地し、城を構えてこれに拠った。
この中でも史料などの側面から(3)(4)の可能性が強いそうで、信憑性が最も高いのは巨海氏だとされています。
その後史料に登場するのは、今川義元の父・氏親が伊勢新九郎(北条早雲・以後早雲)の助勢を得て遠江で斯波氏と争った時代で、さきほどの(3)にあった大河内氏が城主であったとし、それを破って遠江を今川氏が完全制覇したとあります。
この今川時代には京都から飯尾賢連(かたつら)を招き、城主を務め以後3代に渡り飯尾氏が街の発展にも大きく関与したと「糀屋(こうじや)記録」などにあるそうです。
永禄3(1560)年に義元が織田信長に桶狭間で討たれると、徳川家康が自立、今川の跡を継いだ氏真を離れ、飯尾氏も家康に仕えます。そのため数度に渡る氏真と、飯尾連竜の争いが起き、講和後に駿府城で連竜は暗殺され、飯尾氏は滅亡。
永禄11(1568)年に家康が重臣・酒井忠次を派遣し城を接収し、その後今川氏が戦国大名として滅亡すると、岡崎城よりも三河・遠江の二カ国運営には曳馬城が適していたため本拠を移しますが、元亀元(1570)年に家康が入城すると、名前を地名の「浜松荘」から
「浜松城」に変更し、新たに築城を開始。
旧曳馬城はその一郭に吸収されてしまったそうです。
曳馬城としては遺構はじめ見所はほとんどありませんが、浜松城の本当にすぐ近くにあるので、合わせて訪問しておきたい場所です。
また補足程度に、初めて訪問した際は、土地勘もないのでJR浜松駅からバスを使いましたが、浜松駅から徒歩でも訪問できる距離で、道中も都会で休憩所など困る場所ではありません。
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浜松と言えば餃子の街としても有名ですが、JR浜松駅南側にある「むつぎく」さんは行列の出来る人気店。多少お値段は高めだと思いますが、ライスの並盛りの量も多くコスパは悪くないです。ニンニクの量は少なめなのでしょうか。パンチは欠ける感じですが、焼き具合含めやはり有名店だけあって美味しい餃子専門店ですね。店内もキレイなので家族連れの方にも向いていそうなお店です。
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所在地
静岡県浜松市中区元城町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR在来線】JR山手線内回り 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線こだま 品川駅~浜松駅 料金 片道8,070円 所要時間 約1時間50分ほど
【遠鉄バス】浜松駅~浜松城公園入口 料金 片道140円 所要時間 約6分ほど
【入館料】0円