南北朝時代の足羽七城合戦で活躍した城跡
JR福井駅を基点にする時、東口にある「えちぜん鉄道」に乗り換えて、東藤島駅を目指します。降りた後は北側へ向かって徒歩で向かうのですが、その駅を出て北側のすぐ西手に見えるJAの建物付近も林城の後と考えられていますので、合わせて訪問しておきたい場所。
話を藤島城へ戻しますが超勝寺が城跡になりますが、この超勝寺自体も歴史があり、本願寺同様に東西に分かれており(地理上は南北ですが)、北側にある西超勝寺が城跡です。駅から向かう場合、一つ目に出てくる超勝寺をパスしてその奥にある超勝寺を目指します。
日本城郭大系ではメインで扱われれおらず、その前身とされる日本城郭全集に詳細が掲載されていますが、正直その説明も非常にわかりづらいため、文字がかすれて見づらい現地解説板を参考に歴史を振り返ります。
藤島城が活躍したのは太平記の時代、鎌倉幕府を倒すも、その後足利方と険悪になってしまい、越前で命を落とす、南朝方の新田義貞と、足利(北朝)方の斯波高経が、この一帯で激しく「足羽七城の戦い」を繰り広げるのですが、その七城のひとつが、ここ藤島城と考えられています。
足羽七城は斯波高経方が拠った城ですが、現地解説板は「南朝方」とされています。しかし、西超勝寺さんの公式サイトにも「藤島城主斯波左馬介豊郷の勧進によって本願寺5世法主綽如上人の御二男頓円鸞芸法印を寺主に迎え開創した寺である。」とされていることから、これは、解説板が誤りで北朝方斯波一族が南朝の新田軍と戦った城であると思います。
戦国時代、超勝寺は一向一揆軍方として活躍したそうで、永正3(1506)年の「九頭竜川(くずりゅうがわ)の戦い」で、朝倉宗滴(そうてき)に破れたと、東藤島駅構内の案内板にもありましたので、姿を変えてもこの藤島城は戦乱の舞台として活躍していたようです。
現在ですが、お寺の立派な山門脇に、こちらも立派な石碑が用意され、その隣に文字が霞んで読みづらくなった解説板が設置されています。さらに、本堂の奥。墓地の脇ですが一部。土塁の跡を確認することができます。
ただ、さきほど触れたとおり、戦国期はここは一向一揆軍の拠点の一つですから、果たして足羽七城時代の土塁か、それとも戦国期のものかは判別難しいと思いますが。。。
思った以上にお寺も立派で、城の見所以上に満足感の得られた城でしたが、最後に余談を。
東藤島駅は30分に1本のペースでないと電車がこないのですが、駅の待合室に、マンガが結構な数で揃っており、非常に退屈凌ぎに助かりました。管理人同様、車でなく公共交通機関で訪問される方は、ぜひご利用してみてください。
所在地
福井県福井市藤島町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線ひかり】品川駅~米原駅料金 片道11,860円 所要時間 約2時間10分ほど
【JR線】特急しらさぎ 米原駅~福井駅(乗換え)料金 片道2,770円 所要時間 約1時間ほど
【えちぜん鉄道線】勝山永平寺線 福井駅~東藤島駅料金 片道260円 所要時間 約12分ほど
【入館料】0円