信長横死後、滝川一益と後北条氏が争った上州の古戦場
天正10(1582)年、本能寺の変で織田信長が横死すると、事実上信長に臣従していた、後北条氏は織田軍に反旗を翻し、実質的に関東を統治していた滝川一益と争った戦いを神流川(かんながわ)合戦と呼びます。
現地解説板によると、後北条軍5万に対し、滝川軍1万6千とされる兵力差だったそうですが、滝川軍も踏ん張り後北条軍も痛手を負ったというのは、さすがに織田四天王の一人と言われる所以でしょうか。
しかしながら、数に勝る後北条軍がこの戦いに勝利し、敗戦当日中に、滝川一益は倉賀野城を経由し、厩橋城へ退却。
翌日には上州衆と別れの宴を箕輪城を行い、伊勢の長島城へ撤退します。
その後の両者の運命はご存知の方が多いと思いますが、軽くおさらいすると、一益は清洲会議に出席できず、翌年(1583)の賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家方に与し戦後失脚。その後、秀吉政権下で所領を得ますが天正14(1596)年に病没(諸説あり)。
一方の後北条氏は天正18(1596)年に豊臣秀吉による小田原征伐で戦国大名としては滅亡。子孫は大阪に移り江戸時代は小藩の藩主として存続します。
管理人が訪問した当日は群馬県の城を中心に、当サイトの相互リンク先の一つである「ぶらりぶらりお城巡り」の管理人さんと一緒に、そのクルマで訪問。
後で地図で確認したところ、電車で訪問されるのも比較的便利な場所ですね。
現地には立派な石碑と解説板が設置されています。戦国時代を通し最大の戦いだったともいわれる古戦場も、周辺の城跡などを合わせ巡ってむるのも、また歴史散策ファンとして楽しいですね。
所在地
群馬県高崎市新町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円