関ヶ原に散った名将大谷吉継の居城跡
JR敦賀駅の北側、敦賀湾近くの敦賀西小学校一帯が城跡地と推定されています。道沿いに1.5キロ程度歩きますので、体力にあまり自信のない方は、駅にてレンタサイクル(有料)もあるようなので検討されてみてはいかがでしょうか。
敦賀城の歴史は、織田信長が天正3(1575)年に越前を平定すると、武藤宗右衛門を敦賀郡代に任じたとあります。宗右衛門は花城山城を居城にしたそうです。
天正10(1582)年に「本能寺の変」で信長が横死した後、宗右衛門に代わり、蜂谷出羽守頼隆が敦賀に入り、この敦賀城を築城したとされます。
しかし頼隆は天正17(1589)年に九州遠征中に病没し、それによって大谷吉継が敦賀城主になったと日本城郭大系では説明されています。
この九州遠征とは何のことか少し分からないのですが、この2年ほど前に終わったはずの豊臣秀吉による九州遠征ですが、まだ秀吉に歯向かう小勢力の討伐だったのでしょうか??
いずれにせよ、この吉継時代に敦賀城は整備されていったそうで、三層の天守閣も備えていたそうです。
その後、関ヶ原の戦い(1600年)で吉継は西軍につき、戦死(という表現にさせて頂きます。)しますが、大谷家も徳川家の敵方についたということで、改易処分を受けます。
大谷家の後は田中清六を代官として敦賀に配置されますが、一国一城の令により廃城となり、隣の小浜藩が統治するようになると、敦賀には陣屋が置かれ、その時の門が、現在の敦賀西小学校の西側にある来迎寺に移築されていると、先に触れた日本城郭大系は語っていますが、この陣屋は、敦賀城からは離れた場所にあったため、この門はどちらの敦賀城のものでしょうか??
敦賀城で使用していた門を、陣屋に移築し、それをさらに寺院に移したということなのか、あまり詳しく触れられていなかったので疑問が残ってしまっています。
日本史上で見てもかなりメジャーな戦国武将の城郭跡ですが、残念ながら現在は冒頭で触れたとおり小学校の敷地となり、往時の面影はまったく残っていません。来迎寺の移築門は、小学校から徒歩でいける近さなので、忘れずに訪問しておきたいスポットです。
関東方面からだと滋賀県米原経由で敦賀入りとなりますし、京阪神方面だとJR湖西線で敦賀入りと、いずれの都市圏からも電車で福井に入るにはこの敦賀に入りますので、かの大谷吉継の居城があったことに思いを馳せて訪問されてみてはいかがでしょうか。
所在地
福井県敦賀市結城町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線ひかり】品川駅~米原駅料金 片道11,860円 所要時間 約2時間10分ほど
【JR特急しらさぎ】米原駅~敦賀駅料金 片道1,550円 所要時間 約30分ほど
【入館料】無料