日本の城巡り「MARO参上」

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撫養城(徳島県)

足利将軍とも縁が深いとされる鳴門の古城跡

 

撫養(むや)城は、鉄道では徳島県で最東端にある鳴門駅が最寄り駅。管理人は京都から高速バスで四国へ入りましたが、当サイトの初めの頃からのコンセプト「東京新宿発」にならえば、飛行機入りされる可能性が高いと思いますが、徳島阿波おどり空港が淡路街道沿いに進めば鳴門駅も近いので、まずはこの城から訪問をされる方も少なくないのではないでしょうか。

撫養(むや)城は、別名を岡崎城と呼び、小笠原源氏の居城として古くから存在したとされますが、室町幕府将軍とも縁が深いらしく、10代将軍足利義稙、15代将軍の義昭も織田信長に追われた最期はこの地で生涯を終えているそうです。

それも阿波自体が足利幕府と密接に関わりのある阿波細川・三好氏の本拠だったことが原因でしょうが、天正10(1582)年に長宗我部元親が阿波に侵攻してくると三好傘下にあった小笠原氏から、長宗我部傘下の真下飛騨守が撫養城に入りましたが、すぐに(1585年)に羽柴秀吉が四国征伐で攻めてくると代わって、秀吉とは古くからの縁に当たる蜂須賀正勝(小六)の子・家政が阿波入り。

家政は徳島城を整備し、徳島藩の中心とそましたが撫養城も整備し、益田(ました)内膳正忠に守備をさせたとされます。

日本城郭大系によると現在伝わる撫養城は、この益田氏が天正13(1585)年に築城したと記され、冒頭で触れた足利将軍とも縁があった時代の城はいつごろ、誰が築城したかの記載はされていませんでした。

元和元(1615)年に徳川幕府の一国一城令が出ると、この城も廃城となり古城山と長く呼ばれたそうですが、随分後世になりますが天保元(1830)年に豪商・近藤利兵衛が買取り、妙見神社を建立。以後現在に至っても妙見山と呼ばれています。

現在の撫養城は、その後、妙見山公園として整備され山頂には模擬天守も建てられ、鳥居記念博物館がありましたが、現在は徳島市に移動し、天守は新しい主も失った状態になっています。

遺構としては、その天守より一段下がった場所にある神社本殿の裏側に、石垣を確認することができます。
立ち入れる場所として遺構を確認すできるのはこれだけになりますが、他神社由緒書きにも撫養城のことが記されています。

今では訪問する方も少なくなっているのか、山といっても大した高さでもないのですが、初夏に訪問したので木々が覆い、少し不気味に感じてしまったことも・・・
あと神社には「マムシ注意」の看板が出ていましたので、街中の小山といえど、夏場に訪問される方は用心だけはされたほうがいいと思います。

決して見所が多い城ではありませんが、冒頭で触れたとおり徳島入りして、一番最初に気軽に立ち寄れる古くからの歴史がある城なので、徳島城巡りのスタート地点(管理人は香川から順に周り、この城は最初ではありませんでしたが・・・)としてもオススメします。

所在地

徳島県鳴門市撫養町林崎

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

※空路で徳島入り、最寄の鳴門駅からの経路を紹介します。
【JR在来線】鳴門駅から徒歩10数分
【入館料】0円

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