日本の城巡り「MARO参上」

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勝瑞城(徳島県)

細川・三好氏の拠点として栄耀栄華を極めた名城跡

 

2013年6月に香川県、徳島県を2泊3日で城めぐりをしましたが、その際にぜひ寄ってみたかった城の一つがこの勝瑞(しょうずい)城です。

勝瑞城はJR勝瑞駅が最寄になり、今では駅前に商店街などはありますが、決して大きな街ではありませんが、かつてこの近辺は「天下の勝瑞」として名を轟かせた場所になります。

勝瑞城の歴史は、南北朝時代、北朝方の元号で貞治2(1363)年に管領・細川頼之の弟・細川詮春(あきはる)が讃岐よりの秋月城(徳島県阿波市)から移り築城したとされます。

勝瑞城城主7代目の成之が京都で活躍をし、武人、政治家としてでなく、ちょうど室町8代将軍・義政の頃で東山文化全盛期の時代。成之自身も東山文化の代表的な人物だったこともあり、京都から多くの文化人がこの勝瑞城に訪問することになり、城下町は文化都市としても栄えたと伝わります。

その後、阿波細川氏は澄元が三好之長の力を借り、京都で管領細川家を継ぎますが、高国派との争いが起き、管領職は高国派へ、澄元らは病没していき、一時は三好氏も力を弱めますが、之長の孫にあたる元長は高国を尼崎の「大物崩れ」で敗死させると、細川晴元を管領職につけ再び中央政界に進出し始めます。

その子、三好長慶になると細川氏よりも名実ともに実力をつけ、中央政界で権勢を奮いますが、阿波でも当時の勝瑞城主だった細川持隆が、「絶世の美女」と謳われた愛妾(あいしょう)・小少将に溺れ、政務や武備に怠っていると、家臣の三好義賢に裏切られ滅亡します。

この小少将も実はその後も、何度も敵方にも体を許し、最後は長宗我部元親の側室になったそうですが、ここでは城に話題を戻し、名実ともに中央政界に深く関わった阿波細川・三好氏も最後は「奢る平家もなんとやら」か、没落の一途を辿りましたが、勝瑞城自体も、先ほど触れた長宗我部元親によって落城。
2世紀以上に渡り栄華を極めましたが、最後は城は破却され、石塁などは徳島城築城の際に利用されたとされます。

現在は見性寺の敷地となており、寺は三好一族の菩提寺として、この記事内でも登場した之長、元長、義賢らの墓が残ります。
また寺を囲うように水堀が残りますが、天下の細川・三好の本拠としては規模も小さいため恐らくは居館部分の内堀だったのでしょうか。

本丸とされ解説板が設置されている場所にはかすかですが土塁も確認できます。

決して現在の勝瑞城は規模は大きくないですが、かつて中世から戦国初期にかけて日本の中央政権と深く関わった城として、徳島の城めぐりには外せない名城跡です。

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JR勝瑞駅から勝瑞駅へ向かう途中にあるプレハブ店舗のうどん「みのり」さん。徳島ですがお隣香川のような讃岐うどんが手軽に楽しめます。穴場感もあってオススメのお店です。
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所在地

徳島県板野郡藍住町勝瑞

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

※空路で徳島入り、最寄の鳴門駅からの経路を紹介します。
【JR在来線】JR鳴門線 鳴門駅~高徳線 勝瑞駅 料金 片道260円 所要時間 約30分ほど
【入館料】0円

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