御茶ノ水
お茶の水がある駿河台は元来、神田山と呼ばれ、徳川家康が江戸に入ると、この山を切り崩し、当時はまだ海だった現在の日比谷公園や新橋の埋め立てに使ったそうですが、それが原因で洪水が頻発したため、飯田橋から隅田川までの水路を確保し、さらに外掘の役割を果たす神田川が開かれ、それまで地続きだった湯島、本郷と切り離され、現在のような駿河台と呼ばれる地形になったそうです。
その名前は家康が没した後、家康付を解かれ駿河から戻ってきた旗本が屋敷を構えたため「駿河台」となったそうです。
司馬遼太郎に「明治の父」と称された江戸時代末期の軍艦奉行を務めた小栗忠順(おぐりただまさ)などがこの地に暮らしていたそうです。
お茶の水の交差点にある駐在所の脇に、この駿河台の説明版と、あと「お茶の水」の石碑が。それによると、当時あった高林寺に湧く水を徳川秀忠に献上したところ、秀忠が褒め、以来その水を毎日、秀忠に献上したことから「お茶の水高林寺」と呼ばれたことから、お茶の水の名前も生まれたそうです。
管理人は京都の大学を出た後、このお茶の水にある東京デザイナー学院二部グラフィックコースに通っていました。また、その前にバンドマン目指して上京した当時も、バイト先の焼肉屋の支店があり「ヘルプ」で何度か来たこともある懐かしい街。少し紹介してみたかったので、著名武将の屋敷跡などと言うわけではありませんが、ここに紹介させていただきました。
ここからだと大手町まで徒歩で移動も可能ですし、江戸城散策、もしくは東京へ観光へ来られる方向けの情報としてはカレーの名店が多く並ぶ神保町も近いため、それら含めて散策されてみてはいかがでしょうか。
所在地
東京都千代田区神田駿河台2
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円