越前の雄・朝倉氏の居城跡として栄えた地
戦国時代に越前で栄えた朝倉氏の居城・居館跡です。ちなみに厳密には平時の居館跡、詰めの山城がワンセットで存在しており、当ページで紹介しているのは居館跡になります。
まずこの一乗谷城ですが、交通アクセスは公共交通機関を使う場合、非常に悪いというのが実情。管理人はJR福井駅周辺に泊まり、そこを基点に訪問しましたが、越美北線(九頭竜線)は3時間に1本ペース・・・同じく、福井駅からバスも出ていますが、こちらも間隔に大差はないようです。
ですので、公共交通機関を使う方は、行きの出発時刻と、帰りの電車の時刻は必ず事前にチェックが必要です(1本遅れると3時間動けなくなりますよ・・・)。
無人駅の一乗谷駅で下車すると、ところどころに標識が出ていますので、その道沿いに進めば、一際大きな石碑と同時に下城戸跡に遭遇できます。ここでは土塁や堀がキレイに整備されており、そこをさらに坂道を登っていきます(南進)。
一乗谷城は復元された城下町が有名観光スポットのため、道中見学者は少ないのですが、そちらへ向かう最中の道中も城下町などの大規模な遺構が延々と続きますので、正直「捨てる」場所が全くありません。見所満載というか、見所だらけの状態です。
一乗谷駅から向かうと、左手に写真でも有名な唐門が見えてくれば、そこが平時の居館部分となります。この唐門は残念ながら一乗谷城の遺構ではなく、朝倉義景の菩提寺・松雲院の寺門とされます。
というのも、一乗谷城は永享年間(1429~41)に朝倉教景・孝景によって築城されたと、日本城郭大系には掲載されて、その後、朝倉義景の代で織田信長に攻撃され、戦国大名朝倉氏は滅亡しますが、その際に建物などは戦火に消えていったとされ、現在は建築物の遺構は残っていません。
その時天正元(1573)年。朝倉義景は追い詰められ、一乗谷の東にあたる大野へ逃れますが、ここで家臣の裏切りにあい、41歳にて自害して果てたとされます。その義景の墓所は、唐門から居館跡に入り、順路に沿った場所にあります。
この居館部分でも規模の大きな堀跡部分や、土塁などを堪能することができます。
道を挟み反対側には、有名な復元城下町が広がります。永禄9(1566)年には足利義昭も越前の雄・朝倉氏を頼り、この地にしばらく滞在したほどかつては栄華を誇った城下町です。
天下を狙えるチャンスがあったにも関わらず、そのチャンスを生かせず、最後は戦国の慣わし習い、弱肉強食の世相に飲み込まれていった名族の居城跡。お城ファンだけでなく、戦国ファンなら必見の城館跡です。
所在地
福井県福井市城戸ノ内町など
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線ひかり】品川駅~米原駅料金 片道11,860円 所要時間 約2時間10分ほど
【JR線】特急しらさぎ 米原駅~福井駅(乗換え)~北陸本線普通 一乗谷駅料金 片道3,040円 所要時間 約1時間15分ほど※福井駅での待ち合わせの他、3時間に1本程度の本数のため事前に乗り合わせは下調べが必要です
【入館料】大人 210円、中学生以下 無料(復元町並)