朝倉、織田、自立と渡り歩いた富田長繁等の居城跡
JR武生駅の西側の市街地にある龍門寺が城跡です。
日本城郭大系によると天正元(1573)年に、朝倉氏滅亡後に、元朝倉氏家臣の富田長繁(とだ ながしげ)が織田信長方について、この龍門寺城に入ったとされますが、現地の解説板には、長繁の名前はなく、同年に織田信長が、朝倉攻めの本陣として使ったとされています。
恐らく、信長が戦時の陣として使った砦を、修築したような形で富田氏がこの城を与えられたのだろうと思いますが。
同じく朝倉氏の家臣でありながら、織田信長方に寝返った前波(まえば)吉継が、桂田長俊と名を変え越前の守護代に任じられますが、その長俊を先の長繁が一揆衆と共に攻め滅ぼしてしまいます。
さらに魚住景固父子を誘殺した上、信長に内応したというウワサがたち一揆衆の心が離れたと日本城郭大系にありますが、この長繁は朝倉を離れ、信長につくも、さらにそこから事実上独立したような状態で、越前を手中にしようと試みていたのでしょう。
越前の一揆衆は本願寺派の七里頼周(しちりよりちか)を迎え戦いますが、一旦は長繁が勝利しますが、今度は自身の家臣・小林三郎次郎吉隆に裏切られその生涯に幕を下ろします。
その後、一揆軍の三宅権之丞を信長が破り、再度越前を信長方が平定すると越前三人衆(不破光治・佐々成政・前田利家)の一人、不破光治が入城しますが、後に廃城になったとのことです。
現在、市街地の主要幹線道路を歩いているとNHK大河ドラマ「利家とまつ」縁の城という看板が出ていますので、迷うことなく訪問することが可能です。
ただ、この城はあまり前田利家は深く関与していないと思うのですが、これは観光対策ということでしょう(苦笑)。
明確な遺構はわかりにくのですが、墓地が濠跡に作られているそうで、地形的にも濠らしさを十分残しています。ただ、一面墓地なので写真撮影は行っていませんが。。
その他、山門前には解説板と小さな石碑が設置されています。見所十分という城では決してありませんが、周辺は越前府中城など、城跡が多い街なので、じっくりと歴史散策を楽しめる街だと思います。
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越前市(旧武生)の名物料理「ボルガライス」。オムライスにトンカツを乗せ、デミグラスなどのソースがかかった料理。お店によってボルガライスの味は異なるそうですが「ヨコガワ分店」さんは、チャーハンのようなカリッとしたチキンライスを固めのタマゴでオムライスに。昔の正統派洋食の味といったところですね。ここに揚げたてのトンカツが乗せられています。ビックリするようなインパクトがある料理ではありませんが、懐かしい味ですね。またみなさん気持ちのよい接客で、気持ちよく食事もできました。武生観光の際にはぜひ、この名物「ボルガライス」をお試しください!
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所在地
福井県越前市本町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線ひかり】品川駅~米原駅料金 片道11,860円 所要時間 約2時間10分ほど
【JR特急しらさぎ】米原駅~武生駅料金 片道2,600円 所要時間 約50分ほど
【入館料】無料