日本の城巡り「MARO参上」

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三原城(広島県)

豊臣政権五大老の小早川隆景が整備した海城跡

 

三原城は本丸へ登るには、JR三原駅を通過しなければならない、超駅チカの城跡。く

現在は市街地になっていますが、築城当時は海に面した海城で、別名を「浮城」と呼ばれていたそうです。

築城者は毛利元就の三男である小早川隆景。築城時期は日本城郭大系が少しわかりにくいので、現地の解説板を参考に。
永禄10(1567)年に三原湾に浮かぶ島をつないで城塞化を始め、天正10(1582)年、慶長元(1596)年頃に完成していったと説明されています。

ただしその当時の小早川氏の本拠地は同じ三原市の新高山城。しかし、永禄11(1568)年に織田信長が足利義昭を奉じて上洛。信長の勢力が強くなるにつれ、毛利氏の外交を担当した小早川隆景・安国寺恵瓊にとっては海上交通の要衝地である三原城の重要度が増していったとされます。

小早川隆景は豊臣政権下では五大老の一人として活躍。九州に領土を与えられるも、あくまで自身は毛利の家臣としての立場を強調し、九州は後の「関ヶ原合戦」でキーマンになる養子の小早川秀秋に譲り、自身は三原に隠退。新高山城も廃し、三原の整備を進めたとされます。

関ヶ原の後は福島正則が入りますが、正則が広島城の問題で改易されると和歌山から浅野氏が入り、そのまま明治維新まで続いた城です。

天守台は用意されたものの、天守閣は建造されなかった三原城ですが、現在はその天守台が残るのみ。完全に市街地化され大半の城域は残されていません。駅北側のロータリーには小早川隆景の銅像が設置されています。

三原駅の西側の順勝寺には御作事奉行所門が移築されていますので合せて訪問したいところです。

大半の城の遺構は失われていますが、この天守台だけでも十分な見所。危険な箇所もないですし、季節・天候問わずに訪問が可能です。

父・元就の「三本の矢」の教えを守り、毛利氏を支え、秀吉にも「東は家康、西は隆景」とまで信用され重用された小早川隆景の城は、毛利の本拠安芸・広島の城攻めでは外せない重要拠点です。

所在地

広島県三原市城町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道200円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~福山駅 料金 片道16,620円(自由席) 所要時間 約3時間30分ほど
【JR在来線】JR山陽本線 福山駅~三原駅 料金 片道580円 所要時間 約33分ほど
【入館料】0円

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