吉野川に沿った丘陵地に築かれた戦国期の古城跡
2013年6月に香川県、徳島県を2泊3日で城巡りし最後に回った城がこの川島城になります。
場所は徳島県の中心部、JR徳島駅からスタートすれば約40分弱。四国の西側へ向けて移動したJR阿波川島駅が鉄道の場合最寄り駅となります。
川島城を最初に築いたのは元亀3(1572)年。三好長慶の一族・川島兵衛進惟忠と日本城郭大系に記されています。
当時、阿波に残っている三好一族の拠点となっていた勝瑞城の三好長治が弟の十河存保を派遣し、三好勢同士の争いですが、三好氏の侍大将だった篠原長房を攻めて滅ぼし、その時の戦功で川島氏がこの地を任されたそうです。
川島氏は天正7(1579)年に岩倉合戦で討死し、その子孫は備中へ逃れたとされます。
天正13(1585)年に羽柴秀吉が四国を平定すると、阿波は秀吉の古くからの臣下・蜂須賀正勝(小六)の子・家政が任されることになり、徳島城を本拠に、この川島城は家老・林能勝に任せ整備しなおしたとされます。
この能勝は隠居後は道感と呼ばれた武将で、その家系は真実かは分かりませんが木曽義仲の子孫だそう。何よりも軍師・築城家として優れた人物だったらしく、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康にそれぞれ賞を受けた実力者だったそうです。
それだけの人物が入った城ですから、阿波の支城としても相当に重要視された城塞であったことが伺いしれます。
林一族は大坂の陣で活躍するも養子の乱心のため、所領没収を余儀なくされ、川島城も元和元(1615)年の徳川幕府の一国一城令で廃城(正式には1638年に取り壊されたそうです)となりました。
しかしその後も藩の役所などが置かれ政治・商工業の街として栄えたと記されています。
現在城のあった近くに模擬天守と石碑。また解説板が設置されています。ただ、不本意だったのが隣接する川島神社が2の丸付近とされ、さらに吉野川の方へ向かった丘端が本丸だったらしく、そこまで訪問できなかったのが心残りな城です。
このサイトをご覧になって川島城に行かれる方は、同じ過ちを犯さないように、模擬天守から神社の方へ向かってまっすぐ歩いてください。その方向が本丸などがあるエリアになります。
少し不完全燃焼さは残しましたが、戦国時代から続く城塞らしく丘陵地帯であることは十分に分かり、ここが戦闘施設として重要視さてたことだけはかすかに伝わりました。
なかなか四国には「遠征」もままならないのも事実ですが、再度四国巡りを行う際には個人的にもリベンジを果たしたい城になりました。
所在地
徳島県吉野川市川島町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR在来線】JR鳴門線 鳴門駅~高徳線 佐古駅(乗換え)~徳島線 阿波川島駅 料金 片道830円 所要時間 約1時間40分ほど
【入館料】0円