戦国末期まで利用された平城京跡近くの城跡
近鉄大和西大寺駅の東側、平城京跡の北側あたりに超昇寺氏が城を構えていたとされ、現在竹薮の中に遺構が残るとされます。
ただその竹薮は、ロープが巻かれ明らかに立入禁止のような雰囲気が・・・。それに加え、訪問したのが夏本番の夕暮れ時だったため、蚊が酷く実際の遺構は確かめることができませんでした。
日本城郭大系によると、超昇寺城は一乗院方の国人・超昇寺氏が築き、越智・古市氏らと争いますが、明応2(1493)年に同じく一乗院方の有力国人である筒井氏が没落すると、超昇寺氏自らこの城に火をつけたとされます。
その後、戦国時代の末期には、大和で松永氏と筒井氏の争いが起きると、筒井氏の拠点として超昇寺城は再整備されますが、松永久秀が織田信長の援護を受け、永禄12(1569)年に城を破却するも、再度筒井氏が再整備し、名実ともに廃城になったのが、天正8(1580)年に奈良に対し、信長が行った「一国破城」の以降だと考えられています。
冒頭で触れたように、遺構は自ら確認できていませんので、周辺の地形程度しか分かりません。その地形ですが、なだらかですが平城京跡から見るとやや高台に存在していることが分かります。
もともと超昇寺という寺院があって超昇寺氏も、そこの出身者となっておることからも、軍事設備が先ではなく、お寺が発展して城郭寺院のような使われていったのかもしれませんね。
すぐ近くの佐紀神社には「佐紀城」跡には、同様に濠跡を確認でき、こちらも超昇寺氏の城砦であったそうですが、キョリがかなり近いため、独立していたにしても、超昇寺城の機能の一部として機能していたのでしょう。こちらの佐紀城も合わせて見学されることをオススメします。
いずれにしても、私有地でしょうし仕方ないのですが、こういった城跡は入ってもよいのか、やはり立入禁止なのか、もう少し明確にメッセージを発信していただけると訪問者としては助かるのですが・・・。訪問される方は事前に確認などされておかれることをオススメします。あと、夏は一帯に蚊が多いので、あまりオススメはできません。
所在地
奈良県奈良市佐紀町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【近鉄】京都駅~大和西大寺駅(急行停車駅) 料金 片道540円 所要時間 約38分ほど
【入館料】0円