大和の有力豪族・筒井氏の居城跡
近鉄橿原線「筒井駅」の東側にかつての筒井城はあったと伝わり、一部に遺構と言える場所も残されています。
まずは筒井城の歴史ですが、その名の通り筒井氏の居城とされます。その筒井氏は、春日若宮祭に流鏑馬を奉納する国民とされ、至徳元(1384)年の「長川流鏑馬日記」にその名前が残されているとのことです。
以来、大和の有力豪族として君臨していきますが、「筒井城」が初めて史料に出てくるのは「満済准后日記」で、永享元(1429)年に始まった「大和永享の乱」の事が記されているそうで、筒井順覚が城主だったと日本城郭大系には説明されています。
当初は館レベルであったものが徐々に城郭化したと考えられているそうです。
筒井順永の代に大和武士の中では実質ナンバー1の地位につきますが、まだ当時の大和は、筒井、越智が勢力を二分しており、大和を完全制圧したのは、一時的でしたが天文14(1545)年、順昭の代だったとされます。しかし、またすぐに松永久秀が登場し、順昭の子である順慶の両者は対決、筒井城も争奪戦が繰り広げられ、久秀に奪われた時期もあったとのこと。
久秀が没すると筒井城を改修しようと試みますが、地形状の問題などで断念。大和郡山城の改修に予定を変更し、天正8(1579)年に織田信長の「大和一国破城令」で廃城になりました。
現在、住宅地の入り組んだ場所に石碑が設置されていますが、非常にわかりづらい場所のため、地図で事前に下調べされてから訪問されることをオススメします。また生活圏の細い路地裏のため、住民の方への配慮も必要な場所ですね。
光専寺の北側に土塁が確認できると「お城の旅日記 」さんにあり、行って見ましたが立ち入りはできませんでした。これは下調べ不足で、寺の外側に一部ですが痕跡があるそうです。
菅田比売神社の境内にも土塁の痕跡とされる箇所があります。これは城跡の遺構と断言するのは難しいですが、確かに土盛りは確認することができました。
神社の周りには水路があり、これは堀の名残だそうで、一番遺構とわかりやすい場所でもありました。
この筒井城は、石碑のみ、また神社のみを訪問すると消化不良感の多い城ですが、じっくりと街を散策してみるとその名残が、いろんな形で残されていることが発見でき、思った以上に楽しめた城跡です。
余談ですが、駅前の商店街にはかつての近鉄バファローズのロゴも残り、いろいろと時代を感じさせてくれる街です。
所在地
奈良県大和郡山市筒井町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【近鉄】京都駅~大和西大寺駅(急行停車駅・奈良行きは橿原神宮前行きへ乗換え)~筒井駅 料金 片道670円 所要時間 約1時間ほど
【入館料】0円