日本の城巡り「MARO参上」

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鬼薗山城(奈良県)

中世大和を二分した勢力が奪い合った城跡

 

城跡推定地の奈良中心部の老舗ホテル「奈良ホテル」は中世の頃、大乗院の境内の一部だったといわれます。

大乗院とは、今も奈良ホテルの北側にある世界遺産の興福寺の塔頭(たっちゅう)の一つで、塔頭とは本来の仏教用語としての意味だけでなく、興福寺のような大寺院の場合、寺院内にある小さな寺のことを指すそうです。

この中世の頃大和の武力勢力図は、日本城郭大系によると次のように説明されています。

当時の大和国は北の筒井氏、南の越智氏両勢の対立が激化し、越智側に古市胤仙(ふるいち たねのぶ)、豊田頼英ら興福寺衆徒の大半が参加したことに加え、大乗院前門跡・安位寺経覚らがついたことで、興福寺権力の主流となったそうです。

興福寺は僧兵なども擁し、実力を兼ね備えていたため、室町幕府も守護を置くことができず、当時の大和は興福寺が実質的に支配している状況だったため、これは実質的に大和国の主流勢力になっていったものと思われます。

そのような中で筒井勢力は、当時の当主・順永の兄・成身院光宣(じょうしんいん こうせん)が興福寺内に影響力を持っていたため、越智勢力に対する反撃のきっかけを伺っていたとされます。

そういった緊迫した状況下で、越智勢力が筒井勢力に備える城塞を鬼薗山(きおんざん)に築城しようとしますが、先に触れたとおり大乗院の境内だったため難航、一時は隣接する西方院山(さいほういんざん)に築城計画を変更しようとしますが、再度計画変更で当初の予定通りに鬼薗山に築城されました。

その後、両勢力による城の奪い合いがありましたが、城自体の構造が飲料水の補給が難しいらしく、興福寺の権力を使用しないと城として維持できない状態であったため、長禄2(1458)年に廃城になったとされます。

現在は冒頭で触れている通り、奈良ホテルの敷地となっていますが、こちらのホテルは関西の方ならご存知の方も多いと思いますが、格式と伝統のあるホテルですので、カンタンに敷地を散策できるような場所ではありません。

実際開発されつくしていますし、また城自体も自ら破壊したとありますので、遺構はないといって問題ないと思います。掲載させていただいた外観写真のように外から往時の姿を想像するしかない城跡ですね。

またこれは城とは関係のない情報ですが、付近は奈良市中心部に近く、また興福寺や東大寺など錚々たる観光スポットが集まっていますが、奈良のシンボルとも言えるシカが道路にも出てくることがありますので、車で訪問される方は、少し注意されたほうがいいかもしれません。

近くのオススメすぽっと

近鉄奈良駅すぐの商店街の中にあるオムライスの「おしゃべりな亀」さんは、近辺では老舗のオムライス屋さん。オーソドックスなデミグラスソースのオムライスを頂きましたが、タマゴもトロッとして美味しい上に650円とリーズナブル(具によって値段は変わります!)。奈良観光の際のオススメ店の一つです。
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言わずと知れた古都奈良。奈良公園には鹿が遊んでいたり、世界遺産があったり。とにかく見所十分な観光都市。シンボルの一つ奈良の大仏も近くになります。

所在地

奈良県奈良市高畑町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【近鉄】京都駅~近鉄奈良駅(急行停車駅) 料金 片道610円 所要時間 約45分ほど
【入館料】0円

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