大坂の陣、後藤又兵衛、最期の決戦地
近鉄河内国分駅西側に出ると、目の前が丘陵地になっていることが一目瞭然ですが、この一帯こそが、豊臣氏が滅んだ大坂夏の陣(1615年)で豊臣方の武将・後藤又兵衛が最期を迎えた道明寺合戦(5月7日)で又兵衛が陣を構えた通称小松山です。
今はアスファルト整備され、山頂にも住宅が並ぶ大阪市のベッドタウンですが、かつてこの丘陵地を巡り、又兵衛軍と伊達軍などの幕府軍が激戦を繰り広げました。
現在、市営体育館と玉手山1号墳の前に解説板や、小松山古戦場の石碑が設置されています。この1号墳頂には幕府軍側で奮闘し戦士した奥田忠次(旗本)の墓が残されています。
また同じ丘陵上には玉手山公園があり、そこには後藤又兵衛らの記念碑があるのですが、訪問した日は平日で、事前に休館日があることを調べていなかったため、中に入って確認することはできませんでした。
2015年10月現在、水曜日が休園日です。正式な情報は下記公式サイトをご参照ください。
史実ではこの戦いは激戦を極め、又兵衛はこの丘陵帯のどこかで伊達政宗軍の鉄砲隊によって討ち抜かれ、生涯を閉じたとされます。
黒田官兵衛に仕え、その嫡子・長政の重臣として九州で1万石を越える領地を持っていたとされる又兵衛。
黒田家を出た本当の理由はこれから先も分からないかもしれませんが、一転浪人にまで身を落とした名将に用意された花道がこの道明寺一帯だったと思うと、感慨深くなります。
戦国の世を生き抜いた本物の武将だった又兵衛に、大坂の陣で豊臣が再び天下の主に戻るなど考えもしていなかったと、個人的には思っています。
天下泰平のために、反乱が起きる可能性のある武将を引き連れ自ら旅立ってしまったのではないかと思っています。
実は真田幸村よりも、後藤又兵衛派ですので幸村が最後に戦った茶臼山よりも感慨深くなった古戦場です。
2016年の「真田丸」で大阪の真田幸村関係の史跡も人気を博すと思います。
またそれにあわせ大坂の陣についての書籍なども人気が出ることだろうと思います。
そうした中で、後藤又兵衛という人物に関心を持たれた方には、ぜひこの道明寺古戦場に足を運んでみて欲しいと思います。
遺構などがあるわけではありませんし、今は山頂付近まで住宅が並んでおり往時の面影はほぼないと思いますが、ここで又兵衛が、最後の見せ場を作ったのだと思いながら散策されれば満足できる歴史名所のひとつだと思います。
所在地
大阪府柏原市玉手町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~新大阪駅 料金 片道14,250円 所要時間 約2時間25分ほど
【JR在来線】JR東海道線 新大阪駅~大阪駅(新快速停車駅)~ JR環状線 鶴橋駅 料金 片道220円 所要時間 乗車時間約20分ほど
【近鉄大阪線】鶴橋駅~河内国分駅(急行停車駅) 料金 片道350円 所要時間 約15分ほど
【入館料】無料