鎌倉時代からの歴史を持つ関東七名城
宇都宮城はJR宇都宮駅と東武宇都宮の中間に位置する鎌倉時代の頃から存在したとされる城で、同じ栃木県の唐沢山城らと共に関東七名城と呼ばれる城です。
日本城郭大系によれば、その鎌倉時代は宇都宮氏の居館程度の規模だったものを、南北朝時代の宇都宮公綱、氏綱の頃に堀や土塁を強固に構え、城郭へと発展していったものとされています。
戦国時代末期、天正18(1590)年の小田原征伐後、豊臣秀吉自ら入城し、伊達政宗らの処遇を定めた宇都宮仕置(奥州仕置)を行いその後、豊臣氏とさらに懇意な関係を築いた宇都宮氏が再び統治しますが、慶長2(1597)年、突如宇都宮国綱が改易され代わって蒲生秀行が入城しています。
この蒲生氏の頃に近代城郭として変貌していき、次の本多正純(1619~1622年)の頃に完成をしたとされます。
ちなみにこの正純が元和8(1622)年に、2代将軍徳川秀忠が家康の七回忌で日光東照宮に参拝した際、宇都宮城に宿泊する予定だったそうで(実際は壬生城へ宿泊)、その寝室の天井に「釣天井」という仕掛けを行い暗殺を謀ったと疑いを持たれ、改易された「釣天井事件」の主役になった人物です。
父正信の頃から家康に重用された実力者でしたが、晩年は秋田横手城の一角で流罪の身として過ごし、その地で生涯を終えたとされています。
その後も宇都宮城は譜代大名が入れ替わり統治し、戸田氏の頃に明治維新を迎えますが、その際に再び宇都宮城は戊辰戦争で歴史の表舞台に登場します。
慶応4(1868)年に新政府軍と新撰組の土方歳三らが率いる旧幕府軍らの間で宇都宮戦争と呼ばれる交戦が起こり、その際に宇都宮城の建築物などの多くが焼失してしまったとされます。
現在、本丸の位置に士見櫓、清明台櫓が復元され、土塁の一部も復元され公園として整備されています。
館内には資料館も設置されており、再び宇都宮城を盛り上げていこうという街の思いが伝わります。
土塁や水堀が復元されているのは西側になり、東側は市街地、住宅地化していますが、この東側には高低差が今も残っており往時の面影をかすかに感じることができます。
また中央通りを城北側に位置する二荒山神社の方向へ向うと、オリオン商店街の手前に大手門跡の碑が設置されています。
個人的には2009年の5月にこの宇都宮城へ初めて訪問し、それらの記録を残そうと翌年に開設したのが当サイトと、思い入れの強い城跡だっただけに、再訪問がしたくようやく2015年11月に2度目の訪問が叶いました。
一度は完全に取り壊され、都市開発されてしまった城だけに遺構はほぼ残されていませんが歴史の深い名城跡ですし、東京からも比較的アクセスのよい宇都宮。名物なども多い街ですから、週末にちょっとした旅情気分で歴史散策を楽しむのにもピッタリな城跡です。
近くのオススメすぽっと
宇都宮と言えば餃子。名店が名を連ねる中、「正嗣(まさし) 宮島本店」さんも長蛇の列が起きる有名店。カウンター席のみで、ライスやビールはなく焼き餃子と水餃子のみ。男性でしたら合計3人前(1人前200円ほど)くらいが丁度だと思います。
食べログの紹介ページはこちら
所在地
栃木県宇都宮市本丸町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【入館料】0円