日本の城巡り「MARO参上」

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大和郡山城(奈良県)

筒井順慶らが城主を務めてきた中世からの城跡

 

近鉄車両内からも復元された櫓や大手門(梅林門)などが見えますが、この大和郡山城(以後、郡山城)ですが、今もとても城域は広く見所の多い近代城郭跡だと思います。

まず、この郡山城の歴史ですが、日本城郭大系では次のように紹介されています。

中世に「郡山衆」と呼ばれる武士団の居館がこの近辺には点在し、その中でももっとも実力を持っていたのが中氏で、その居館が城郭化したのが郡山城とされます。

大和が筒井と新興勢力・松永久秀の両者の争いの時代に入っても、両者間で争奪戦が繰り広げられましたが、久秀が没すると、筒井順慶は最初、筒井城の拡張を目指し、多聞山城の石材などを運ばせますが、地形的な問題で断念。郡山城の拡張に計画を変更し、天正8(1580)年に織田信長が「大和一国破城令」を出し、郡山城以外の城を破壊させ、大和一国の支配を順慶に認めたとされます。

天正10(1582)年に「本能寺の変」で信長が明智光秀に滅ぼされると、光秀と親交の深い順慶は、光秀方に誘われるもそれを最終的には固辞。郡山城に籠城します。最後は豊臣秀吉の傘下に入り、大和一国は安堵されますが、順慶が若くして(28歳)で没すると、跡を継いだ定次は伊賀上野へ転封され、豊臣秀長が入城します。

天守閣などは、順慶の時代に完成していたそうですが、秀長は100万石の大名に相応しい城下町、城郭の整備を進め、秀長が没すると、豊臣政権の五奉行だった増田長盛が入城。城下町の総構えを構築したとされます。

関ヶ原以降に、増田氏は西軍に属したため改易。しばらくは城主も入れ替わりしましたが、享保9(1724)年に甲府城から柳沢吉里が入ると、幕末まで柳沢氏による統治が続いたそうです。

現在の郡山城ですが、櫓などは復元されたものですが、城南側(駅側)の永慶寺の山門は郡山城の移築門とされ、解説板が用意されています。

よく見かける天守台の石垣の写真は北側にセミナーハウス麒麟会館があり、その付近から撮影するのがオススメです。ただし、夏場は草木が多く、写真も良いものが撮りづらいと思います。

永慶寺からセミナーハウスへ向かうと、この城の見所の一つである、石垣と水堀がよく見えるので要チェックです。江戸時代の近代城郭の水堀というより、武骨な印象が特長だと思います。

写真でもよく見かける復元櫓は城の東側にあり、そこから柳沢文庫(入場するには入場料が必要です)、柳沢神社への遊歩道があります。その神社の奥に天守台があり、これも有名な「さかさ地蔵」などが見学できます。この天守台には他にも、平城京の礎石など多くの転用石が使われていることでも有名です。供養のため、卒塔婆も立てられ多少、独特の雰囲気を持つ場所でもあります。

その他城外にも、「やまと郡山城ホール」付近にも門跡の石垣が残るなど、遺構もよく残されているので、じっくりと街自体を散策されることをオススメします。2012年9月に2度目の訪問をしましたが、まだまだ新たな派発見や、また天守台の良い写真も撮りたいので、次回は冬に再訪問したいと思います。

近くのオススメすぽっと

近鉄郡山駅近くの沖縄料理などをメインにした「オーガニックキッチンFarve」さん。おしゃれな雰囲気で落ち着いて料理を楽しめます。夜は居酒屋としても利用できます。ゴーヤチャンプルを頂きましたが、カレーも人気メニューのようですね。近くに寄る機会あればまた再訪問します!
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所在地

奈良県大和郡山市城内町

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【近鉄】京都駅~近鉄郡山駅(急行停車駅 ※橿原神宮前行きは直通 ※奈良行きの場合、大和西大寺駅で乗換え) 料金 片道670円 所要時間 約50分ほど
【入館料】0円

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