梟雄松永久秀が爆死を遂げた城跡
公共交通機関で訪問する場合、最寄り駅は近鉄の信貴山下駅になります。そこからバスも出ていますが、管理人はそこから徒歩で聖徳太子が開基と伝わる朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)まで向かいました。
朝護孫子寺は有名な寺社で観光客の方もとても多いです。トイレなどもここで済ませておくといいでしょう。観光センターのような施設もありますが、そこにはほどよい価格の食堂も備わっています。
お寺としても見所は十分なのですが、信貴山城本丸は空鉢護法堂へさらに登っていきます。途中には空堀らしき地形跡も確認できました。
ほぼ登りきった位置には「信貴山城」ののぼりと、土塁、虎口などが残り、石碑、解説板も設置されています。
ここで信貴山城の歴史にも触れておきたいのですが、古くから陣所が置かれた地とされますが、正式な築城時期は天文5(1536)年、畠山氏の家臣でありながら、戦国時代畿内の有力者の一人だった木沢長政によってだとされます。
しかし信貴山城を歴史の表舞台に押し上げたのは、長政の死後、新たにこの城に入った松永久秀。永禄2(1559)年に大和に入った久秀は、この信貴山城に入ると大規模な城郭を築き始めたとされます。
有名な逸話は、織田信長に従っていたにも関わらず、天正5(1577)年に信長に謀反を起こし籠城。織田軍に名器「平蜘蛛茶釜」を差し出せば助命すると言われるも、それに爆薬を込め自らも爆死したという件。
どこまでが真実かは分かりませんが、空鉢護法堂から見下ろす風景は絶景。この景色を眺めていた久秀には相応しい壮大な最期であったのだろうなと感じることができます。
城跡の遺構はここから高安山に向かう登山道側の方が圧巻。郭跡や規模の大きな空堀などを確認することができます。またこちらは坂道も傾斜は相当厳しく、往時は難攻不落を誇った山城だったのだろうなと想像することが難しくありません。
朝護孫子寺側から登ってくるのと、高安山から向かってくるのとでは全く装備も異なってくると思いますので、どちら側を見たいかで服装や靴なども選択してください。
管理人は2013年11月初訪問しましたが、高安山側にはオオスズメバチだけでなく、いくつも猪らしき動物が地面を掘り起こした痕も確認できました。季節や天候もよく考えて訪問したいエリアです。
一方の朝護孫子寺側は完全にアスファルト舗装されていますので、動きやすい格好であれば特に問題はありません。
城ファンのみならず、戦国武将ファンにとっても、戦国時代の下克上の時代を代表する梟雄・松永久秀が壮絶な爆死を遂げた名城という「肩書き」だけでも一度は訪問しておく価値アリな戦国時代の山城跡です。
所在地
奈良県生駒郡平群町信貴山
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~京都駅 料金 片道13,520円 所要時間 約2時間15分ほど
【近鉄】京都線 京都駅~大和西大寺駅(特急停車駅・乗換え)~難波線 生駒駅(乗換え)~生駒線 信貴山下駅 料金 片道1,300円(特急代含む) 所要時間 約1時間20分ほど
【入館料】0円