有力大名たちに翻弄され続けた関東七名城の一つ
東武佐野線の田沼駅の東側にそびえる唐沢山頂に城跡が残ります。
山頂まではアスファルト補整されている道路で、距離的には3キロほどですが、急坂もある山道で、かつ山に入るとヘアピンカーブ続きの道路のため、歩行者は車に注意が必要な場所です。
関東七名城の一つに数えられ、関東では珍しい石垣がある中世の城跡として有名ですが、詳しい歴史を日本城郭大系を参考に紹介していきます。
城の歴史は古く、天慶3(940)年に藤原秀郷が築城したとされます。その後、しばらく廃城となっていた唐沢山城を、秀郷の子孫とされる鎌倉幕府御家人・佐野基綱らの佐野氏の居城として再興されます。
戦国時代に入っても佐野氏の統治は変わりませんが、北の上杉謙信、南の後北条氏という巨大勢力の覇権争いに翻弄。
謙信には永禄4(1561)年に攻めてくると計10回の攻撃を行い、時には謙信の支配下に収まったこともあったようです。
また謙信の死後は北条氏照の攻撃を受け、北条氏康の子が佐野氏の養子に入るという形で、実質、後北条氏の傘下に組み込まれますが、天正18(1590)年の小田原の役で、佐野氏の血をひく房綱が秀吉勢力として戦った戦功で、再び唐沢山の地を安堵、房綱の跡は秀吉家臣の富田将監の子・信種が佐野信吉として継ぎ、信吉は豊臣姓を下賜され、激動の歴史を見た唐沢山に一時平穏な時代が訪れます。
しかし唐沢山城の平穏は長く続かず、秀吉の死後、徳川政権に入ると信吉は、きっかけは諸説ありますが佐野城へ移転、唐沢山城は廃城となり、しばらくして佐野氏も改易処分を受けてしまいました。
現在、唐沢山にある唐沢山神社が城跡となっており、本堂がある位置が本丸跡となります。縄張り図などを持っていない場氏、田沼駅近くにある「ふるさと館」で城内の地図を入手できるのでオススメです。
そして、冒頭でも触れた山道を登ってくると駐車場がありその入り口から入ると「神橋」と呼ばれる場所があり、濠跡がよく残っています。濠を越えると三の丸、二の丸と続き、本丸につながり、有名な高石垣はこの本丸部分で見ることができます。
本堂前の山門を下った場所に南城があり、ここからの眺望はとても素晴らしいものがあります。ここまでは比較的、観光客も多い場所ですが、本堂裏手側のお花畑と言われる場所に行くと、土塁がよく残されています。中世の城跡の雰囲気はこちら側がよく残されていると思います。
と、遺構や歴史背景は申し分のない城跡ですが、難点なのは車を持っていない場合、非常にアクセスしずらい場所にあるということ。東武線も佐野線は1時間1本程度になるため、よく時間を確認し計画を立てて訪問することが大切です。ですが、ここは一見の価値アリと言える城跡です。有名な高石垣は感動的ですし、訪問までの苦労を吹っ飛ばしてくれるだけの他にもたくさん見所があります。
これから訪問されるか悩んで当サイトに遊びに来ていただいた城郭ファンの方!高石垣も写真より実物の方が、もっと迫力もあるので、ぜひ現地でその感動を体感してください!
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東武田沼駅付近は大型商業施設などもなく、トイレなどの休憩も少し困ってしまうのですがここ「たぬまふるさと館」は無料で利用でき、かつ唐沢山城の資料なども入手できるので、登山前に立ち寄られてみてはいかがでしょうか。
所在地
栃木県佐野市富士町
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【東武線】伊勢崎線 久喜駅~館林駅(乗換え)~ 佐野線 田沼駅料金 片道570円 所要時間 約1時間ほど
【入館料】0円