戦国三梟雄の宇喜多直家ゆかりの烏城
岡山市の中心部、JR岡山駅の東側に、黒壁の天守閣がそびえる日本100名城の一つです。駅前から岡山城にかけて、ずいぶんと開けた都会風景が広がり、徒歩でもランチやカフェ休憩を取りながらラクに訪問できますが、路面電車の岡山電軌を使うのも便利です。
この岡山城は、梟雄としても名高い宇喜多直家の居城として有名な近代城郭ですが、元は岡山城よりも北側にあった金川城(岡山市北区)の松田氏が、応仁の乱の頃に居城にしたという記録もあるそうですが、これは明確ではないとのこと。日本城郭大系の見識としては、それより後世の天文年間(1532~55)に松田氏の家臣・金光備前が築城したという説を押しています。
いずれにせよ、築城時期などは明確には分かっていないようです。
直家が岡山城の城主になったとされるのは元亀元(1570)年。先の金光備前の子・宗高を謀殺し城を奪い、天正元(1573)年に大改築を行い、居城としたとされます。
直家の子、秀家は豊臣政権下では五大老に入るほど、豊臣方の有力武将として活躍しますが、この岡山城も秀家が天守閣含め整備を進めていったそうです。
現在の天守閣は第二次世界大戦の空襲で焼失し、その後復元された物ですが、秀家の建てた天守閣は現在の天守閣の原形になっていたそうです。
秀家は関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の主力を成したことで、戦後宇喜多家は改易処分。自身は最終的には八丈島に流刑になりました。
ちなみに宇喜多氏は大名としては滅びましたが、八丈島で存続し、今も八丈島に秀家の墓所などが残るそうです。(秀家は八丈島に残った説、恩赦後、本州に戻った説など諸説あるそうです。)
宇喜多氏の支配から解かれた岡山は、関ヶ原の戦いで西軍を裏切った小早川秀秋が統治することとなり、その後秀秋の死後、小早川家が断絶すると代わって姫路城主の池田輝政の五男・忠継が岡山城主となり、以降、入れ替えは様々あったようですが池田一族によって明治維新を迎えました。
現在の岡山城ですが城内には、秀家時代の石垣などの遺構などが残りますが、印象としては100名城にしてはやや見所が限られるかなぁという感じがします。(あくまで個人の感想です)。
独特の形をした天守閣内部は資料館になっていますが、この天守閣の写真は隣接する後楽園側から撮影するのが管理人のオススメ。
黒壁の天守が間違いなく水堀の役目を果たしだろう旭川に映る角度が見栄えが一番いいと思います。
良くも悪くも整備が行き届いており、時期や服装を問わず手軽に訪問できるが故に、やや先ほど触れたとおり少し見所が限られるかなぁという印象もありますが、やはり岡山の城巡りとして外せない名城跡ですね。
当日は青春18切符を使い、京都から日帰りで訪問したため時間の都合で、じっくりと隅まで見切れなかったのは少し心残り。関西からは比較的アクセスのしやすい城ですし、ぜひ再度訪問する機会を作ってみたいと思います。
近くのオススメすぽっと
岡山県倉敷市の名物「ぶっかけうどん」のお店「ぶっかけ亭本舗 ふるいち 岡山健幸プラザ店」さん。このお店はTwitterで岡山出身の方に岡山の美味しいお店と聞き、立ち寄ってみました。関西系よりは麺は讃岐に近い、コシの強い麺。お値段もワンコインに近いメニューが多く、とてもリーズナブル。JR岡山駅にも近いので岡山観光の際に重宝したいお店です。
食べログの紹介ページはこちら
所在地
岡山県岡山市北区丸の内2
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~岡山駅 料金 片道17,140円 所要時間 約3時間20分ほど
【入館料】天守閣 大人(15才以上)300円、小人(5~14才)120円