日本の城巡り「MARO参上」

ホーム > 関西以西の城 > 岡山県の城一覧 > 撫川城(岡山県)

撫川城(岡山県)

戦国時代、宇喜多氏に対する前線基地の役割を果たした城跡

 

JR山陽本線の「庭瀬駅」近くの住宅街に残る二つの城跡。一つは庭瀬城で、あと一つがこの撫川(なつかわ)城です。現地解説板には「もともとは一体の城」だったと説明されています。

その解説板によると、この撫川城は永禄2(1559)年に戦国大名・三村家親が築城したとされていますが、日本城郭大系によると、もっと歴史は古く「備中府志」に、寛治年間(1087~94)に藤井久任が築城したと記録があると記載しています。

さらにそれによると、平清盛の重臣だった妹尾(せのお)太郎兼康の一族が居城した可能性もあるそうです。

戦国期に入ると、毛利氏の城代として上山兵庫介・植民部大輔などが在城したとされ、現地解説板によると、井上有影が秀吉の備中高松城の攻撃の際に、この城を守り激戦を交わしたとされます。

恐らく毛利の城代として、何人かの城主が変わっていく中の一人が上山兵庫介であったり、井上有影であったと思います。

しかし三村氏の影響に関しては、解説板と日本城郭大系では大きく異なり、冒頭で触れたように解説板は、三村氏が宇喜多氏の脅威に備え築城したとありますが、城郭大系の方では、「一時、備北の三村氏の持城となり」としか触れられていません。こちらでは毛利氏が宇喜多氏に対抗する城として重視したとあります。

いずれの説をとってもこの城が、宇喜多、三村、毛利と戦国時代の中国地方の覇者を巡る前線基地の一つであったことは確かなようですね。

秀吉の高松攻めにより落城した後は、秀吉方についていた宇喜多氏方の武将が城番として在城、徳川時代に入り戸川達安(みちやす)が所領すると、庭瀬藩として藩庁の庭瀬城(陣屋)を築城したとあります。

現在の撫川城址公園の門は、この戸川氏の時代の大手門が移築されたと伝わります。

撫川城は住宅街の中にあって見事なまでに、石垣や堀の一部を遺構として残し、岡山県指定史跡にも指定されています。

全体像の写真は西側の住宅街の付近から撮影すると分かりやすいのですが、今触れたとおり、住宅地で私有地も多いため立ち入り禁止区域に入らないようになど、節度を持って見学したい城跡ですね。

期待を持ちすぎると、逆に規模が小さく期待を裏切られてしまうと思うのですが、個人的には全く期待していなかった分、感動の方が大きい城でした。

町の中にはいたるところに水路があり、すべてが戦国時代の名残ではないでしょうが、往時に水堀豊かな城であったことが容易に想像できます。

現在の城域はとてもコンパクトですが、非常に距離が近いため庭瀬城とセットで、町の散策含めて楽しめる城跡だと思います。

所在地

岡山県岡山市北区撫川

新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)

【JR在来線】JR山手線 新宿駅~品川駅(乗換え) 料金 片道190円 所要時間 約20分ほど
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~岡山駅 料金 片道15,850円 所要時間 約3時間20分ほど
【JR在来線】JR山陽本線 岡山駅~庭瀬駅 料金 片道190円 所要時間 約7分ほど
【入館料】0円

写真ギャラリー