江戸時代庭瀬藩の藩庁が置かれた陣屋跡
JR山陰本線の「庭瀬駅」近くの住宅街には多くの水路が残ります。往時はこの水路も掘の役目を果たしたであろうと、容易に想像できる場所にある清山神社付近が城跡とされます。
この庭瀬城(別名:御陣屋)の歴史は戸川達安(みちやす)を藩祖とする庭瀬藩(石高は2万~5万の小藩だったそうです)の拠点として、元は戦国大名・三村元親が築いた城跡に築かれた徳川期の陣屋でした。
元親時代の庭瀬城は規模も大きく、近くにある撫川(なつかわ)城まで城域であったとも伝わるそうです。
日本城郭大系によると、達安以降の四代安風に子供がいなかったため改易処分となり、天領の期間を挟み、代わって天和3(1683)年に久世重之が千葉の関宿から移封され、次いで奈良の興留の松平信通と、主となる家は転々としたそうです。
元禄12(1699)年に板倉重高が千葉の高滝から移封されると明治維新まで、板倉氏による統治が続いたそうです。
現地解説板には清山神社は、この重高が寛政5(1793)年に板倉勝喜によって建立されたとあります。社殿もそのままでしたら重要文化財などに指定されているのでしょうが、年代物の建築物ではありましたが、恐らく往時の物ではないと思います。
しかし鳥居前にある狛犬はその当時に作られたものだそうです。
この庭瀬城には遺構は少なく、先に触れた水路となっている堀などが残るのみですが、この水路はなかなか往時の姿を想像させてくれます。
撫川城は徒歩で訪問できるほど近い城ですので、そちらと合わせ、また町内をくまなく散策されることをオススメします。
ただし、今は住宅地で多くの方が生活される場所でもあるので、配慮をしながら歴史散策を行いたい場所です。
所在地
岡山県岡山市北区庭瀬
新宿駅からのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【JR新幹線】新幹線のぞみ 品川駅~岡山駅 料金 片道15,850円 所要時間 約3時間20分ほど
【JR在来線】JR山陽本線 岡山駅~庭瀬駅 料金 片道190円 所要時間 約7分ほど
【入館料】0円