小田原城八幡山古郭
北条早雲時代の小田原城を求めて
この「MARO参上」を始めたのは、2010年9月。城巡りを本格的に始めたのはその年のゴールデンウィークでした。
しかしそれ以前から、城や歴史には関心があり、関西育ちですがこの小田原城には馴染みが深く、当サイトで紹介し始めてからも合計2回訪城していましたが、北条早雲、そしてさらに以前の大森氏時代の遺構にはまだ訪問したことがなかったため、2018年6月30日に初訪問した際の記録を改めて八幡山古郭として綴ります。
八幡山古郭東曲輪から見る模擬天守と駿河湾
神奈川県小田原市城山3丁目付近
後北条氏が入る前の小田原城史
元々は14世紀末に土肥氏が築城したとされ、鎌倉公方・足利持氏と争った上杉禅秀の乱(1416年)に、上杉方に加担した為、小田原を追われ代わって大森頼顕が新たに小田原を支配することになりますが、当時の小田原城については規模や位置も明確には分からないそうです。
明応4(1495)年に大森藤頼が、伊勢新九郎長氏(北条早雲)に襲われ敗走しますが、その頃には八幡山付近に小田原の中心部はあったと考えられています。
小田原高校付近に残る小田原城の遺構
東曲輪公園から一旦、駅方向に少しだけ戻り、再び坂道を登ると小田原高校があります。
この小田原高校の裏門の辺りにも写真のような解説板が設置されています。
小田原高校の所在地
神奈川県小田原市城山3丁目付近
三味線堀
さらに隣接する城山庭球場の前付近の門に、三味線堀の石碑を確認することが出来ますが、堀そのものは確認できませんでした。
テニスコートもかなり窪んだ地形になっているので、堀ないしは、腰曲輪のような役割を果たしたのでしょうか。
三味線堀の石碑位置
八幡山古郭最大の見どころがある城山公園へ
「小峰御鐘ノ台大堀切」で検索すると城山公園の名前がよく出てきますが、同名の公園が多く間違えないため「毒榎平」で検索されるといいかもしれません。
この付近は3代氏康の頃に整備された三ノ丸と見られます。
これは永禄4(1561)年に上杉謙信、同12(1569)年には武田信玄と戦国時代を代表する武将に攻撃を受けたことで、普請を行ったと記されています。
「土の城」小田原城を堪能できる土塁跡
毒榎平の城山公園、太平洋戦争の慰霊碑がありますが、その奥に立派な土塁が確認できます。
小峰御鐘ノ台大堀切
そしてこの土塁の「切れ端」から堀底に降りることができます。
ちょうど降りきった付近に「畝」のような地形を確認できます。
堀には横矢もかかりかなり大掛かりなもの。八幡山遺跡群、最大の見どころと言えます。
毒榎平の城山公園所在地
神奈川県小田原市城山3丁目付近
小峰御鐘ノ台大堀切を映像で
新宿駅から小田原へのルート(※料金や所要時間は目安です。)
【小田急線】快速急行 新宿駅~小田原駅 料金 片道874円(IC) 所要時間 約1時間33分ほど